『ダーティー・ハリー』 ~もっとも平等な男の瞳~ | ありがとうございました

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 すべては、無。 
 





 死刑廃止論というのがありますよね。人間が人間の生死を決めてしまってよいのか? 死罪にしたらそれで終わるのか? 死刑が犯罪の抑止力になるのか? 等々、もっともな意見だと思います。しかし、私のような小市民は、日々起こる凶悪事件、異常犯罪などのニュースを聞くと、「こんなことするやつ、早く死刑にして欲しい」と思わず思ってしまいます。そして私以上に犯人を八つ裂きにしてやりたい気分の遺族も多いはず。

 しかし、法律は時としてものすごくぬるい、ゆるい、甘い… そんな法律の抜け穴をすり抜ける犯罪者を追い詰め、なんと射殺してしまうメチャクチャな刑事がこの映画の主人公、サンフランシスコ市警のハリー・キャラハンです。

 もう有名な映画ですよね。主演は今や名監督のクリント・イーストウッド。この映画以前はイタリア製の低予算西部劇(マカロニウエスタン)や戦争映画なんかに出ていた“う~ん、あと少し!”って感じの俳優さんだったようですが、この作品がきっかけで完全にスター俳優になったようです。『バック・トゥ・ザ・フューチャーPART3』で西部開拓時代へタイムスリップしたマイケル・J・フォックスが名前を聞かれて思わず「クリント・イーストウッドだ…」と答えて、「ヘンな名前~!」と返されるシーンはおもしろかったですよね。あれはイーストウッドといえば、西部劇という名残があるからなのでしょう。

 <ネタバレ注意>

 サンフランシスコ、プールで泳ぐ女性がライフルで狙撃される事件が起こる。犯人は大胆にも犯行声明文を送りつけてくる、「次は牧師か黒人を殺す  -さそり」。すぐに捜査の担当に殺人課のハリー・キャラハンが任命される。

 そして次の犠牲者… 予告どおり黒人が殺された。さそりはそれでも犯行をやめない、「今度は14歳の少女を誘拐した…」とサンフランシスコ市に身代金を要求してくる。

 身代金の入ったバッグを持って受け渡し場所のスタジアムへ行ったハリーの背後からさそりが襲い掛かる。やはり悪人はどこまでも卑怯です(笑) なぶり殺しにしようとするさそりにハリーはなんとかジャックナイフを出してさそりの足にグサリ! このときのさそりの叫びようったら、かなりの痛がりようなわけです。形勢逆転、今度はハリーがさそりをフルボッコ、そして誘拐された少女の居場所を吐き出させます。やれやれ事件解決… とはいきません。少女は遺体で結局発見され、おまけに、なんとさそりは釈放させられてしまいます。ハリーが拷問まがいのやりかたで少女の居場所を聞き出したこと、そしてミランダ法とかいう逮捕前に必ず、「あなたは黙秘する権利、弁護士を呼ぶ権利、裁判では不利な発言をしなくてもいい権利がある~等々」を言わなかったから、無罪放免状態になってしまったのです。

 ここからがさそりはすごい、わざわざ黒人の喧嘩屋みたいなお兄さんに金を払って自分をボコボコにしてもらい、「ハリーにやられた! あいつはマジでひどい刑事だ~!」とマスコミに発表したりして、ハリーを謹慎処分にしてしまいます。悪人のどす黒い根性というか、執念というか、いやはや恐ろしい。

 すると、さそりは今度はなにをするのかと思いきや、なぜかスクールバスを乗っ取るのです。え? ここまでやってきたのに、なぜかスクールバスなのです。まるで「仮面ライダー」のショッカーみたいでしょう? さそりは国外逃亡を計りたいらしいのですが、もうちょっと… ま、とにかく、子どもたちを人質に取るとはやはり外道もいいところ、このままさそりを好きにさせていいのか!? と思ったところに鉄道の陸橋の上にハリーが立っているのです。その下をスクールバスが通り過ぎる瞬間、スッと飛び降り、バスの上に乗り移ります。ここはスタントなしだったそうです。さそりは“ひょっとしたら執念では、俺の上かも…?”と少しだけビビリつつ、採石工場に逃げ込みます。ま、44マグナムを持ったハリーにやがて追い詰められますわな。でも、最後の最後に工場の貯水池で釣りをしてる少年をまた人質に取るのです! またです!

 「………」ハリーは諦めたように銃を放しかけます… が、すかさずさそりを撃ち抜く。射撃コンクールで3年連続1位の腕前です。甘く見ちゃいけませんね。貯水池に浮かぶさそりの遺体。パトカーのサイレンが近づいてくる中、貯水池へ向かってハリーは自分の警官バッジを投げ捨て、その場を立ち去る…。


 ハリーには思想というか、強い意思があるのを感じられます。ラストのバッジを投げ捨てるシーン。メチャクチャはやるが、いつでも辞める覚悟でやっているということ。身体を張っているのです。“良心のないものにものを言っても始まらない”、どれだけ法律が整備され、世の中が近代化され、民主主義が徹底されても、問答無用の場合もときにはある… そんなことではないでしょうか。

 そして彼は徹底的に平等なのです。犯罪者だけではなく、すべての者をどこか憎んでいます。彼が一匹狼たる所以なのでしょうが、ハリーがコンビを組まされる新人刑事に同僚が説明します、「ハリーは平等なんだ。すべてのものを憎んでる。白人も黒人も、黄色人種も…」そしてその新人刑事が「僕みたいなヒスパニックはいかがですか?」と尋ねると、ハリーは「一番、嫌いだね…」と答えます。対するさそりは小柄な白人男性ですが、黒人を嫌悪しています。殴り屋の黒人のお兄さんにも差別用語的なことを平気で浴びせ、「俺からのサービスだ!」と兄さんからおまけの一発をもらったりしています。どうもサイコキラーは間違った潔癖症というか、自分と異なるもの、知らない世界の人間を“負”とみなし嫌悪するパターンが多いようです。この“さそり”を演じていたアンディ・ロビンソンという役者さん、あまりにも“さそり”のイメージが強烈すぎてその後は役に恵まれなかったそうです。

 マカロニウエスタンのころからそうですが、イーストウッドはどこかしかめっ面というか、目を少し細めた感じのイマイチ心が晴れないような表情がすごくいい。この映画でも犯罪者たちに対してそんな瞳で銃をかまえています。アメリカという国の持つ影の部分をイーストウッドは表情で表現しているように思えてなりません。やはり名監督でもあり、名優でもありますね。

 そしてハリーは、当たり前かもしれませんが、“死刑執行人”なんてほんとうはやりたくないのでしょう。