私にはイタリアミラノで育った日本人の友人がいます。
その彼女がローマの友達に「リピーターはローマでどこに行くべきか?」を聞いてくれました。
そして、絶対行って欲しいと言われたのが【ローマゲットー地区】なんです。
お恥ずかしながら、私は、今回この名前を教えてもらうまで、単語としても、このような歴史があったことも知らなかったのです・・・
もともとローマ教皇は他のヨーロッパの君主たちと同様にユダヤ人の金銭力を利用する代わりに彼らを保護するのが一般的だった。
しかし1555年5月に狂信的な反ユダヤ主義者だったパウルス4世が教皇に選出されると方針が転換された。彼はユダヤ教にはキリスト教を脅かす致命的影響力があると妄信しており、教皇に選出されてわずか二カ月後に勅書を出し、ローマのユダヤ人の隔離を命じた。ローマ・ユダヤ人は全員テヴェレ川の左岸に追いやられ、その区域は塀で囲まれた。
このゲットーをきっかけにして瞬く間に教皇領中にゲットーが作られた。以降の教皇も教皇領のユダヤ人をゲットーに押し込め、他の君主にも同じ処置を取るよう圧力をかけるのをユダヤ人政策の基本方針とするようになった。
ナポレオン・ボナパルト率いるフランス軍により教皇領が滅ぼされると、ローマ・ユダヤ人は市民解放を受け、ゲットーからも解放されたが、1814年のナポレオンの敗退で教皇領が復活してしまう。そして教皇はローマ・ゲットーを復古させた。
教皇領がイタリア王の支配下に入った1859年にすでに他のイタリア領で認められていたユダヤ人の市民権がローマのユダヤ人にも認められた。しかしローマ・ゲットーは、1885年まで存続し、これは西ヨーロッパのゲットーで最も遅い解放であった。
by Wikipedia
ウィキペディアではここまでしか掲載されていなかったのですが、いろんな方のブログや実際に足を運んで学んでみると、第二次世界大戦時、あのナチスがこの地区から大勢のユダヤ人を連行していったそうです。
場所はこの丸印の辺りです。
こうしてみて見ると、観光地から離れていないんですよ。
アップにしてみると
トラステヴェレのすぐ向こう岸。
トラステヴェレに架かる橋を渡って知らずにぶらぶらしていたところでした。
しかし・・・ユダヤ人と言っても、国を持たないユダヤ教の人々。
それぞれの国の人がユダヤ教を信仰している。
宗教が違う同じ国民と考えれば、ただそれだけのことなのに・・・
日本でもキリスト教徒が迫害されていたという歴史がありました。
信仰の厚い、自分たちと違うと認識される存在、その脅威。
未知を恐れる人類。
何やらすごいと思うからこその脅威。
世界も宇宙も一つ。
ワンネス。
それを真剣に考えさせられました。
では、その歴史や遺産を観光させていただきましょう。
→「PORTICO DI OTTAVIA」と「マルケルス劇場」【②ローマゲットー地区】
準備中