※この記事では小説内で使われているエタという差別用語をそのまま使用していますが、あくまでこの物語世界のなかでのみという制約のもとで使っているもので、そのような言葉の使用を擁護するものではありません。

【あらすじ】

「破戒」——それは僧が戒律を破ること。蓮華寺へひとりの「僧」が越してくる。瀬川丑松という名の若い小学校教員だ。丑松の戒めとはこれすなわち父の教え、自分の出自を隠すことである。彼は「エタ」なのだ。ある日、住んでいた下宿から、「エタ」であるという理由で男が追い出される。部落出身であることが社会に知れるというのはつまりこういうことだった。しかし丑松には、どうしても自分の素性を告白したい相手がいた。彼が愛読する本の著者であり自身が「エタ」であることを公言している思想家、猪子蓮太郎である。自分のことをすっかり話してしまって、もっと深いところで先生と分かり合いたい。でも父を裏切ることはできない。そして何より社会から追放されるのが怖い。恐怖と自分を偽りながら生きる苦しさに懊悩する日々を送り、追い詰められた丑松がとった行動とは——。


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小学校教員だった父は、現役時代、同和教育に力を注いでいたそうだ。その父が食卓でその話題に触れるとき、わたしは「ぶらく」という言葉の響きに何かタブーめいたものを幼心に感じていた。「ぶらくってなに?」と訊くと、「貧しい地区に住んでた人たちが昔はひどい扱いを受けてきたんだ」といったような説明を一応はしてくれたかもしれないが、正直よく分からなかった。あまり口にしちゃいけないことなんだと感じながら、今にいたるまで部落差別について知ろうとすることもないまま生きてきた。

それがつい最近、同和問題について興味をもつきっかけがあり、辿りついたのが島崎藤村の『破戒』だ。新潮文庫の表紙には、赤色で『破戒』の二文字、背景には何かに怯えるかのように背を丸めた人のような黒い塊から2本の足(?)がのぞいている。読む前から非常に鬱々とした感じを醸している。禁書に手を出すような心持ちで読み始めたわけだが、意外にも楽しみながら読めた。社会風刺小説としての体裁をとりつつ、ちゃんとストーリー性や感動もあるので、小説としてバランスが取れていると思う。純粋に面白い。(個人的には、以前紹介した町田康の『告白』のほうが読者への精神的負荷が大きいクセモノだと思う。)

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部落差別する側の心理もされる側の心理も、差別とは縁遠い(と思われるような)環境で生きてきたわたしのような人間には理解しがたい、というのが正直な感想。いや、こんな不条理を理でもって解すという試みがそもそも無理ゲーなのか。・・・「部落差別する」と書いたところでヘンな感じがした。たぶん丑松をとりまく人たち(差別する側の人間)にとって、部落差別は「する」ものではなく、「ある」という感覚だったに違いない。というか差別という認識すらなかっただろう。イヌとネコとか、大人と子どもといった区別と同じように、「エタ」とそうでない人という常識があったんじゃないか。


とくに印象的に残った場面がある。天長節の午後、先生と生徒らが校庭でテニスをして遊ぶ場面だ。仙太という部落民の生徒がペアを組んでくれる相手がいないまま独り佇んでいたのを見かねて、丑松が参戦する。敵方は2人の同僚——2人とも「エタ」ではない。丑松はこの遊戯を「人種と人種の競争」と捉えている。あの『フランケンシュタイン』に登場する怪物がフランケンシュタイン博士と対峙して言うのならまだわかるけど・・・もはや違う人種という感覚なのが哀しい。部落差別が生んだ溝の深さを突き付けられた。

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丑松はなぜ告白を決意するのだろうか。この問いを探るうえで、丑松にとって「エタ」であることがどんな意味をもつのか考えてみたい。

言うまでもなく、生まれた場所や自分が属したコミュニティというのはアイデンティティ(自分は何者か)を形成するうえで欠くことのできない要素である。「エタ」であるという意識も当然のことながら丑松の価値観なり思想なりに影響を与えている。(例えば、もし丑松が被差別部落出身でなければ、彼のなかで「生まれによって差別されていいはずがない!」といった思想はおそらく生まれないし、猪子蓮太郎の考えに共鳴することもない。)だから「「エタ」でなければ・・・」と自らの悲運を嘆くと同時に、それは丑松を丑松たらしめる要素でもあるというジレンマが常にある。


しかし、「自分は何者であるか」という問いの答えは、自分のなかでウンウンと問い続けるだけではなかなか見えてこない。というのは、それが「社会(他者)にどう見られたいか」という問題も内包しているからだ。あるいは「他者の目を通して見た先にある理念としての自分」(まどろっこしい!)と言い換えることもできるかもしれない。ツイッターなどのSNSのプロフィール欄を思い浮かべてほしい。160文字という限られたスペースには、出身地や出身校、言ったことのある国といったアイデンティティの記号がひしと並べられている。無論、社会に向かって直接「わたしは「エタ」です」と自己アピールをすればどうなるかは、これまで多くの被差別部落出身者が辿ってきた運命からも明らだ。というわけで社会を介して自分を見るという手段が丑松には断たれている。そこで丑松は、この理念としての自分を体現する人物、猪子蓮太郎に自らの出自を告白そうと決めるのである。それは単に尊敬する仲間として同情を得たかったのではない。社会という脅威に屈せず堂々と部落民の権利を説いている「先輩」に自分を重ね合わせ、その人の承認を得ることで、直接には社会は通さないけれども(=社会に素性を明かさずに)、間接的にアイデンティティの確立—理念としての自分と実際の自分を一致させること—を図ろうとしたのではないか。


その猪子蓮太郎が亡くなって初めて丑松は気づく。「いや自分を隠そうとするから疲れるんじゃん?本当に自分が告白すべき相手は猪子先生ではなく社会なんじゃない?」と。猪子蓮太郎が亡くなった日の晩、「破戒」を決意する場面で丑松は次のように悟る。「見れば見るほど、聞けば聞くほど、丑松は死んだ先輩に手を引かれて、新しい世界の方へ連れて行かれるような心地がした。告白——それは同じ新平民の先輩にすら躊躇したことで、まして社会の人に自分の素性を暴露そうなぞとは、今日まで思いもよらなかった思想なのである。急に丑松は新しい勇気を掴んだ。(中略)一新平民——先輩がそれだ——自分もまたそれで沢山だ。」(361-362ページ)

この時点で、猪子蓮太郎は猪子蓮太郎、瀬川丑松は瀬川丑松という別個の「一新平民」として認識されている。突然このような悟りに至ったのは不思議なことであるけれど、たぶん猪子先生が死んだことで「理念としての自分」というある種の「戒め」から解放されたのだとわたしは思う。といっても、猪子蓮太郎を尊敬しなくなったというわけではない。猪子蓮太郎という「正解」から解かれることが、ありのままの瀬川丑松を受け入れる「新しい勇気」に繋がったと取れないだろうか。

告白決行の朝、丑松には、猪子蓮太郎の著書『懺悔録』にある「我は穢多なり」という冒頭が「今更のように新しく感じ」られる(364ページ)。その「我」には、猪子蓮太郎を介したそれではなく丑松自身であるという実感が伴っている。そしてついに飯山を去る日、丑松の心持は「鳥のように自由」になり、「踏む度にさくさくと音のする雪の上は、確実に自分の世界のように思われ」るのである。つまり、「破戒」とは父の戒めを破ることであり、自分のなかで作っていた戒め——猪子蓮太郎という父親的イマーゴ——を破ることでもあるのだ。

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まとまりがつかず、だらだらと書いてしまった。数日後に読み返したら、自分の書いたことが意味不明すぎて泣きたくなるやつだな、これは。果たしてあのような告白によって本当に丑松はアイデンティティが確立されたことになるのか、そもそもアイデンティティとは固定的なものではないのか、などなど、まだ頭の中で言語化できていない部分も多々あるけれども、それはいつかこの作品を再読する時のわたしに考えてもらうことにしよう。