『動物農場』や『1984』はなんとなくあらすじを知っているくらいで、読んだことはありません。オーウェルと聞くと、政治思想とか社会風刺といった堅苦しくて尖ったイメージがあったのですが、冒頭から著者の紅茶作法への拘りがユーモラスに力説されていて、いい意味で予想を裏切られました。「あのオーウェルってこんな人だったの?」と。ちょっと陰気くさそうで、でも意外とお茶目な一面ももち合わせた方のようで、勝手に親しみがわいてしまいましたね。

 

このエッセイ集は、①食事・住まい・スポーツ・自然、②ジュラ島便り(オーウェルの書簡集)、そして➂ユーモア・書物・書くことの三章から成ります。

 

日常生活のこまごまとしたものを取り上げ、そこからイギリスの国民性とか時代の流れとか、人間の本性みたいなものを感じ取ってしまうのは、ジャーナリストや物書きの性なのでしょうか。数あるエッセイのなかで一番共感したのは、第一章に収められている「娯楽場」の、娯楽と人間らしさについて綴られたエッセイです。人間の欲求に沿うように全てが人工的にデザインされた娯楽施設が発展するにつれ、娯楽を与え続けられた人間は人間らしさを失い、意識や好奇心の鈍った動物になっていくのではないか、とオーウェルは問いかけます。そして、この類の娯楽の最も重要な要素たる「音楽」の役割が、「思考と会話を阻止し、鳥の鳴き声とか風の音のように、放っておけばかならず聞こえてくるはずの自然の音を遮断すること」(p.77)であると暴きます。その目的は、「あの怖い物つまり思考が侵入してくるのを阻止」(p.78)することであり、娯楽とはすなわち「意識を破戒する努力」(p.80)にすぎないのだというのです。

 

いまの世界は、少なくとも先進国といわれるところにおいては、オーウェルが生きた時代の比ではないほど、人間が自発的に考えなくても済むような、手軽に好奇心と欲求を満たしてくれる娯楽で溢れかえっています。果たしてそのような世界を生きるわたしたちは、経済的に豊かだとしても、人間として先進しているといえるのか――。爆発的人気を博したゲーム「あつ森」なども娯楽のひとつでしょう。どうぶつたちの生きるバーチャルの世界の中で、人間の見た目をした人間ならざるもの(笑)になることによって、悠々自適の生活が手に入るわけです。(っていうのは短絡的すぎるかな?)オーウェルは娯楽そのものを十把ひとからげにして批判しているのではなく、本来人間は「楽」ではない体験や創造的な体験を通して人生の意味(のようなもの)を見出していくものなのに、その機会が娯楽によって無意識のうちに奪われてしまうことを危惧しているのだと思います。巧妙に仕組まれた娯楽の麻薬性を早くから見抜いていたオーウェルが『動物農場』を書けたことも決して偶然ではないのだと分かります。

 

また、本書ではオーウェルの真面目で実際家的な一面も垣間見ることができました。第三章の「文筆業の経費」では、「作家に必要な生活費」「作家に適した副業」「作家が他の仕事に従事することは文学にとってプラスか」といった質問にたいするオーウェルの回答が載せられているのですが、斜に構えた感じの回答を期待していたら、むしろ懇切丁寧に一般的な作家の生活費や生活水準について(なかば教科書的ともいえる)説明をしてくれていて、ちょっと意外でした。ほかにも、「創造的な副業に労力を使って本業の物書き業に手が回らなくなるから、副業するなら銀行員や保険代理業がいい」とか、「ある程度ふつうの世間と接触しないと書くことがなくなる」といった、意外にも地に足のついたアドバイス(?)が書かれていて、なんというか、誠実で真面目な人なんだなぁという印象を受けました。

 

以上!

 

そういえば、11月に受けたケンブリッジ英検(CPE)の結果がまだリリースされていません・・・。試験から6週間後くらいには発表されるはずのですが、いつになるんだろう~。