愛しの不妊症

愛しの不妊症

子宮頸癌後の不妊治療で赤ちゃんを授かった経験が誰かのお役に立てばなぁと思って、ブログに記そうと思いました。

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手術が決まると、今度は、実際に円錐切除をした方のブログなどで、3bと言われていたけど、切除してみたら進行癌で全摘になりましたとかあって、手術の結果がとても怖くなりました。それでも、先生の「まず大丈夫」を信じて、手術に臨みました。

手術は、二泊三日の入院でした。手術の前日入院、術前検査は、入院前に終わっていたので、手術前日は主治医、麻酔科医からのムンテラ(手術や合併症の説明)、手術室のNsとの面接くらいで、のんびり過ごせました。睡眠薬や下剤を飲む病院もあるかと思いますが、この病院はありませんでした。慣れない環境で殆ど眠れませんでしたが、落ち着いてはいました。

手術当日、朝、浣腸して、点滴して、術衣に着替えて、手術室に呼ばれるのをひたすら待ちます。病院側の手違いで手術室がダブルブッキングしてしまっていたとのことで、午前中だったはずの手術が午後になり、そろそろかな?なんて待っていると、今度は主治医が講義に入ってしまう時間になってしまったからと、夕方になり、朝から緊張しまくり、禁飲食の私はイライラ。。。

ようやく呼ばれて、ストレッチャーで手術室へ。心臓ばくばくしながら、ストレッチャーはもう少しゆっくり押して欲しいものだとか、もう少し笑顔とか声かけして欲しいなとか、冷静に看護を評価している自分もいました。手術室前で夫と分かれる時は、とても心細く怖かったけど、でも、病院に免疫のない見守る側の夫の気持ちの方がもっと辛いだろうとも感じていたので、できるだけ明るく元気に振る舞いました。

手術室に入って、手術室の看護婦さんの笑顔にとても安心感をもらいました。処置のたびに緊張から冷たくなってしまった手を握って温めてくれたり、声をかけてくれたり、本当にありがたかったです。私もこういう看護がしたいと思いました。

見たこともないドクターたちに囲まれ緊張感が高まります。何時間も待ったために点滴が3本も追加されたのを聞いて、クスっと笑った見知らぬ若いドクターに、カッチーーンときながらも、手術台のまな板の鯉の私は「よろしくお願いします。」というしかありません。

麻酔科ドクターの「麻酔入れますので、ちょっと手が冷たいとか痛いとかって感じがありますよ。その後、眠くなります。」と言われた3秒後には意識を失いました。次の瞬間、「終わりましたよ。」という声と同時に、挿管チューブ(麻酔下でも呼吸が保たれるように気管に挿入されるチューブ)を抜く息苦しさと、猛烈な尿意を、もうろうとした中で感じました。まるでタイムスリップしたかのような感覚でした。挿管チューブの抜管は、もうろうとしてる中での一瞬の苦しさなのでそんなに堪え難くなかったのですが、とにかく、尿の管のせいで、排尿したい感じが苦しくて嫌で嫌でたまりませんでした。手術室の退室時に、主治医の先生が、「今日は夕食も終わってしまった時間だから、待たせたお詫びに私が自腹でカツ丼用意しますよ。」と言いました。手術後のしんどい中、空腹感はしっかり感じていた私は、嬉しい~♪と思っていましたが、つまらない冗談だったようで、カツ丼は出てきませんでした。これが入院中、一番のショックだったかも知れません。

病室に戻っても、痛みにも似た激しい尿意は続き、徐々に生理痛の2倍3倍くらいの下腹痛が襲ってきました。意識ももうろうとしているし、早く夫に会いたいと、そればかり思っていましたが、術後の処置や観察があるので、当然なかなか呼んでもらえず、対面できたのは1時間後くらいだったでしょうか。酸素マスクや点滴、尿の管につながれている苦しい顔の私を見て、夫の顔が青ざめて行くのがわかりました。いかん!元気に見せなくては!!と、必死で笑顔を作りました。笑顔を作っていると、不思議と元気もでてくるもので、変な意地も手伝ってか、痛み止めも使用することなく、術後3時間くらいで、痛みがだいぶひき、尿の管の違和感にも体が慣れてきました。

術後しばらくは夫と二人、お互いがお互いを励まそうと頑張って気力を保っていました。そこへ、心配した親友が夜、突然駆けつけてくれてくれました。初めて、「痛いし、辛い。。。」と、友人に打ち明けられて、それまで張りつめていた二人の緊張が一気にほぐれた気がしました。本当に感謝しました。それまで、なぜか、夫婦二人で頑張って乗り越えなくちゃ!みたいな思いがあったのですが、もっと周りの人に助けを求めても良いんだ。もっと周りの人たちと助け合って乗り越えて行った方が、断然良い方に向かうんだと感じました。

一晩、尿の管のおかげで、一睡もできなかったし、朝一で抜いてくれませんか?と看護婦さんに頼んだけど、診察するまでダメと言われました。看護師は医師の指示なく、管を抜いたりはできないので、ダメと言われるのは解っていたけど、一秒でも早く抜いて欲しかったんです。この気持ちを知った今、また、病院で術後の患者さんの看護にあたるようなことがあったら、医師に予想指示を書いてもらう等、患者さんの安楽を最優先した看護を追求してこうと感じました。

退院前の診察で出血も多くなく、無事、退院が決まり、めでたく、尿の管ともサヨナラできましたが、管を抜く時の痛みは、天下一品でした。。。

朝ご飯のパンがおいしかった事。帰りに飲んだスタバのカフェオレがおいしかった事。食事が出来るってほんとに幸せ。

退院直前の面接で、医師から、「切り取ったのは1cmくらいの浅さで、今後の妊娠にもそれほどは影響しないと思う。奇麗に切り取れたので、まず心配ないですが、病理の検査が出たら、また改めてお話しします。」と言われました。

術後2~3日はゴロゴロ過ごし、少し体力が落ちたかな~とは思いましたが、1~2週間ですっかり回復しました。術後1週間の検診も問題なく、出血もすぐ止まり、病理の検査も3bのままで、問題ありませんとのことでした。手術から1年たった今は、5ヶ月に一回の検診になっています。細胞診の結果も1です。

最初は、本当に、お先真っ暗、「私死ぬんだ」とまで思っていた私ですが、今となっては、本気で自分の死と向き合える機会をいただけたこと、こころから体を大切にしなくてはいけないと思えた事、入院、手術という経験の中で、患者さんの気持ちを、より深く体感できたこと、夫や友人の存在に改めて感謝できたことは、何事にも変えられない宝だと感じています。もちろん、再発の可能性や、今後また、別の病気にかかる可能性は無限にありますが、今ある健康や命を大切に、一日一日に感謝して生きて行きたいと思っています。

だから、こんなに大切なことに気付かせてくれた子宮頸癌ちゃんには、感謝、感謝で、「愛しの子宮頸癌」なのであります!
2009年5月、子宮頸部高度異形成(子宮頸癌の一歩手前、アメリカでは子宮頸癌の初期に分類される)の診断で、円錐切除術をしました。





精密検査の結果を待つまでの一週間。生まれて初めて、自分の「死」と本気で向き合った時間でした。夫にすがって、毎日泣きました。夫は黙って毎日寄り添ってくれました。もし、私と夫が逆の立場だったら、私はどうなってしまうだろうか。こんな風に夫を支えられるのだろうか。夫の気持ちを考えると、ありがたいやら、申し訳ないやらで、涙が止まりませんでした。





子宮を取られてしまうかもしれない、もう赤ちゃんを授かる事は出来ないかもしれない、下手したらもう命も長くはないのかもしれない。そんなことばかりが、ぐるぐる頭の中を巡っていました。もっと夫と一緒に生きていたい。夫との赤ちゃんをこの手に抱きたい。まだ死にたくない。





インターネットにかじりついて、あちこちの情報をかき集めました。体験者のブログやちょっとしたコメントがとても参考になったし、心の支えにもなっていたので、私の経験もそんな風に、誰かの役に立てばと思い、このブログを記す事にしました。





私は助産師という仕事をしています。仕事の中で、円錐切除後の妊婦さんや産婦さんと関わることも、多くありました。今となっては、後悔先に立たずですが、円錐切除をした後の妊娠、出産の意味、患者さんの気持ち、何一つ解っていなかったと反省の嵐です。この先、この経験を糧に、もっともっと、患者さんに寄り添う事ができるよう、努力していきたいです。





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さて、私の手術までの経過ですが、ずっと、細胞診で、3aという結果が何年か続いていたので、検診を重ねて行くうちに、「毎回、進行もせず、経過観察だし、いつまで検診続けるんだろう、、、めんどくさいなあ、、、。」と、検査結果も聞かず、1年くらい検診に行ってなかったときのことです。友人の夫が、保険屋さんに就職したとのことで、保険に入り直そうと思い、検診の結果が必要になったので、1年前の検査結果を取り寄せたんです。そうしたら、その結果がなんと3bに進行していました。今思えば、なんというタイミングで、友人の旦那さんが転職してくれたかと思って、こころから感謝せずにはいられません。





慌てて病院に行くと、主治医が、一年前の検査結果を前に、愕然とした面持ちで、「とにかく、再検査しましょう。紹介状も書きますから、すぐに大学病院を受診してください。」と紹介状を書いてくれました。一年間も放っておいてしまった高度異形成。一年で、どれだけ進行してしまったのだろうか。最近の体調の不調が、みんな、癌のせいに思えてしまう。





すぐに大学病院へ受診。大学病院の先生は、「この癌は、10年とか時間をかけて進行するものだから、そんなに心配いらないよ。」と言ってくれましたが、不安が完全に消える事はありませんでした。





ヒトパピローマウィルスの感染によって起こる子宮頸癌。性交渉のある女性の80%は、このウィルスに一度は感染しています。感染しても、通常は免疫力によって、ウィルスが排除されるのですが、免疫力の低下によって長期感染すると、子宮頸部異形成、子宮頸癌を引き起こします。今までの生活習慣を振り返って、体を大切にしてこなかった自分を後悔しました。





一週間後、精密検査の結果が出ると、3bのシビアで、若干進行はしていたけれど、日本ではまだ「癌」とは呼ばない段階でした。主治医の見解では、3bの内、「癌」に進行していくものは4分の1だそうで(80%が癌に移行するとしているデータもあるらしい)、今のうちに円錐切除してしまえば、妊娠にもさほど影響なく浅く手術できるでしょうとのことで手術を勧められました。大学病院の主治医は、なんと言うか、大味?な先生で、「切ってしまって、はい、おさらばよ。」と、あっけらかーんと手術の話をする先生でした。そんな簡単に言わないでよ~と思いつつ、医者があっけらかーんとしていてくれると、不安が少し解消されもして、やっぱり、深刻な状況や、しんどい状況ほど、医療従事者は、どーーんと構えて、患者さんに笑顔を見せられるくらいの余裕が必要だと実感しました。





3bでは、手術をすすめる医師と、経過観察する医師に分かれるようです。患者さんそれぞれの状況にも大きく影響を受けていて、感染しているウィルスの型、経産婦か未産婦か、3bになってどれくらい経過するのか、などなどが加味されて治療方針が決定しているようです。3b→3aと軽快することもあるようですが、3bだと軽快することが少ないらしく、3bで何らかの治療対象、という考え方が、今は主流となっているようです。細胞診は、異形成の一部分をつまんで取って検査しているだけなので、悪い部分をつまんで来れていない場合は、細胞診2でも、「癌」だった例もありますし、実際は異形成の全体を切除してみないと解らないようです。





円錐切除をする前に、レーザー治療をする病院も、最近はちらほら出て来ているらしいです。噂では、治療の成果も良さそうなのですが、どこの病院で取り入れているとか、どんな治療なのか、情報があまり入ってこないので、もし、どなたか受けた方や詳しい方いらっしゃったら、ぜひ、教えて下さい。





そんなこんなで、大学病院を紹介されてから2ヶ月後に手術の予約がとれました。





(つづく)