●ありがとうと言える◯になれたことで変化し始めた私の内側
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こんにちわ^^
心音です。
ブログにお越しくださってありがとうございます。
以前の私はグラグラでしたが、現在はこの3本柱の存在に支えられていますし、仮にぐらついても戻る術があるので安心です。
現在の相手方に対する思いは、「ありがとう」です。
怖い!許せない!憎しみ!こんな自分が嫌だ!等の感情に支配されていた頃もありました。
相手方の吐く息ひとつに、ビクッ!と反応してしまう自分。
相手方の咳払いひとつに顔色を伺う日々。
相手方の全てに全神経を尖らせていた。
相手方が娘に対しての暴力があった際、娘の盾になった私の目の前で包丁をちらつかせ、「どけ!ワレもこれでぶっ殺すぞ!」と凄味をかけてきた時、私は烈しく抵抗しました。
私の背後には、恐怖のあまりに腰が抜けた状態の娘がいたからです。
今思うと、なぜ警察に通報しなかったか?
通報することで、激情した夫に娘が殺られてしまう。
その思いだけだったです。
今の私なら、間違いなく通報してました。
………
許せない感情は常にありました。
しかし、この許せない感情に支配されていることが私にとって発狂しそうなほど苦しくきつかったから、思い切って、捉え方をぐるっと大きく変えました。
「大切な自分のために、私ができること」
この捉え方を自分の中で採用したことで、すごく楽になりました。
今も、この捉え方を大切にしてます。
だから、私は、とことん自分と向き合った結果から、相手方との離婚を選択し、行動に移しました。
すべては、「大切な自分のために、私ができることは?」
これを自分に問い、自分の中にある答えを選択してきました。
その感覚が、【私は問いであり答えである】に等しかった。
しかし、私は自分のことばかりに意識を向けていて、娘の心の闇について何も気づいていなかったです。
その結果が今であるが、その現実を受け容れました。
「大切な自分のために、大切な娘のために、私ができることはなんだろう?」
と置き換えたら、またまた、いろんなコトが見えてきました。
今は、私の魂が望むコト、娘の思いを重ねてみると、【笑顔で暮らせる日がきっとくる】に繋がっています。
娘がいうのです。
「離婚という目に見える形から得られる安心感安堵感があれば、心の病気も良くなると思う」…と。
確かに、一理ある。
実は、娘の一言が、治療優先からその先へ進む勇気を与え、再度の申し立てへ繋がった理由のひとつです。
1回目の調停に向けて、自分を調えている私を見て、娘が笑いながら「お母さん、楽しそー」って。
ブレぬ軸を持つ私でいることで、娘が安心する要因のひとつになっているようです。
だからね、
「このコトはきっと良いことに変わる。ありがとう」
この言霊を常に、自分へ投げかけています。
それと、相手方にありがとうは伝えられる私であっても、情は不要です。
それは、完全に別物ですからね。
いままで、その線引きといいますか?割り切りがとても甘かった私でした。
ありがとう。
ありがとう。