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今日は両親の結婚記念日です53年❓
代理で父のお墓参りに行ってきました
母がパーキンソン病と診断されてからこの4月で10年が経ちました
パーキンソン病は脳が体を動かすための指令を調節するドパミンと呼ばれる物質が減ることによって起こります。
母の場合、おそらく徐々に減っていたんだろうけど、症状は出ていませんでした
後からわかったことですが、胃の内視鏡をして、胃炎があるからと処方されたスルピリドという薬の副作用により助長されてしまい、一気に症状が出てきました。
顕著に出たのは筋肉の強張りです。顔の筋肉が硬直して表情がなくなりました
当時、父の友人の内科の先生がかかりつけだったので、当然まずそこへ父が連れて行って、診断されまして、すぐに内服が開始されました💊
でも私は薬剤性ということもあることを知っていたのと、専門医の先生に診てもらいたくて、父にはその先生を信用しろと言われたけど、強引に病院を変えました🏥
もちろん神経内科ではこの先生という先生を知っていたので、そこに連れていきました。その先生が今も主治医です👨⚕️
薬剤性であってほしいな(薬剤性なら薬を中止すれば症状が消える場合もあるので)というわずかな希望を持って行きましたが、結局、その先生に2度目の診断を受けることになります
ただ、そこへ連れていって良かったのは、最初の先生が処方した薬は、その時の母の状態での投与は強すぎるということ。1番軽い薬からのスタートになりました💊
10年経って思うのは、パーキンソン病は薬の調整が本当に重要だということです。母の主治医はその辺の匙加減が本当に上手だと言うことを後から聞きました。それだけが理由ではないと思うけど、母のパーキンソン病の進行は遅いようです
診断された日、診察が終わって、母を先に会計窓口にいかせて、私は外来で看護師さんとお話してから窓口へ向かったのですが、2階から会計待合に茫然として座っている母の姿が見えて。。
今でもその光景が目に焼きついています。
当時、主治医に『この病気は必ず進行します。でもコントロールが上手く行けばこの先20年は生きられます』と言われ、母は『そんなに生きなくていい』と言いました。そのちょうど折り返し地点まで生きてきました
しかも闘病していた10年間、家族に支えられて穏やかに。。とは決していえない日々でした。
介護をして看取ってくれるとばかり思って、頼りにしていた父が癌になり、脳梗塞になり、一気に母の介護度を抜いていき。。
娘は自分と同じ乳癌になり、しかも自分より悪性度が高い癌で抗がん剤治療になって。。
落ち着いてきたと思ったら、父は終末期になっていて、結局先立たれ。。
そして自分が2度目の乳癌、後を追って娘も2度目の乳癌。。
でもこの目まぐるしい10年だったから、もしかしたらパーキンソン病が進行する暇がなかったのかもしれません
そしていつも思うのは、母はいつだって安定の低空飛行をしているなということ
きっとこのまま10年、低く低く飛んで行くのではないかなぁなんて思っています
そうだ、にゃーちゃんもいなくなった
いつかの、ゴールデンウィーク満喫にゃーちゃん。