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母がクローバー80歳クローバーになりましたおねがい


私が1歳になる直前、母31歳で甲状腺腫でオペ。その後、取った組織の中に前がん状態の細胞があったので、3か月後に、再手術で全摘。


私が6歳の時、母36歳で胆石摘出のため、開腹してオペ。幼稚園の最後の運動会に母はいませんでした。先生とお遊戯をした記憶だけが残ってます。


小学生の頃(母、40歳前後)多分だけど子宮筋腫を小さくする注射(今のリュープリンなのか??です)をしてくると肝機能が急激に悪化して、夜嘔吐して苦しんでいた母の姿を記憶してます。

母親が元気じゃないことがすごく嫌で、注射してきた日は、またかえーって子供ながらに思ってました。


それでも子宮筋腫は成長して、小学6年生の時(母42歳)に、子宮筋腫と共に子宮と卵巣全摘。。


そんなに深刻な病気ではなかったけど、子供の頃、何度も母が入院したので、母はきっと長生きできないとずっと思っていました。


その後は特に大病もせず元気でいてくれましたが、私が33歳(母、63歳)ときに一回目の乳癌に。

当時、私は嫁に出ていたので、母がどんな乳癌だったのかとか、何故この治療をするのかとか今のように考えることはありませんでした。


でもその時に乳癌が遺伝する場合もあること、早期発見すれば癌の中ではそれほど怖い癌ではないことを知りました。

そしてその後、かなり経ってから母がオペを受けた病院に就職して、しばらく癌に関わることを仕事にしていました。母の主治医だった先生と一時期同じ部署で仕事をしたこともあり、その時、初めて母の病理結果を知りました。

癌のことを少しばかり勉強してからみたので、母の乳癌はそれぼと悪性度が高くなかったことはわかったし、確かその時はHER2は調べてなかった気がします。

(ハーセプチンが初回治療でも使えるようになる前だったので多分調べなかったのかなと思います)

抗がん剤もしなかったので、乳癌は早期発見さえすればそんなに治療も大変ではないと思ったことが、33歳からまじめに検診を受けてきたきっかけです。


結局、検診で発見できず、中間期乳癌といわれる検診と検診の合間に見つかるというえーえーそして悪性度も高くて、進行のスピードも早いびっくり母とは違う癌でしたがガーンガーンガーン


話を戻して、私が40歳になる年(母70歳)パーキンソン病を発症。

パーキンソン病の闘病生活も10年になるところ(79歳)で2度目の乳癌。


病気とともに歩んできた母の人生80年。。

もうこれが最後の治療になるとは思うし、これから先あとどのくらい現状維持で生きられるか分からないけれど、80歳の母を私は想像することもなくここまできて(80歳まで生きられると思ってなかったので)、今、なんとなく85歳の母を思い描いていたりするので、人生は最後まで分からないものだなぁと思っています。。


相変わらず、オペに対して後ろ向き発言多いですがアセアセ

一応来週の入院に向けて、熱を測ったり、病院に持たせるものを準備したりしてます。。

正直なところ、手術するもしないもどっちも気が重いです。。


もう人のことを決めるの嫌だな‼️

っていうのが本当の気持ち。。ですえー



下矢印 お誕生日のシフォンケーキ、今日は糖質考えずに一緒に頂きましたニコニコ


下は最近よく登場するヤモリさん

(ヤモリだよね❓)家守りのヤモリさん、父かな❓なんて思ったりニコニコ