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母が乳癌だということが分かりました。


2回目です。2006年に左乳房温存手術を受けて、放射線治療25回、ホルモン療法5年を経て今年術後16年。反対側に乳癌が見つかりました。当時はサブタイプなんてあったのかな、おそらくルミナルAだったかと。。


これからまた母の乳癌闘病生活が始まりますので、そのことを私の記録と一緒にフリーにすることを決めました。では、経緯から。。



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6月25日、父の四十九日が終わって、少しずつこれから日常に戻っていくのかなぁとホッとしたのも束の間。。


6月28日は母の通院日でした。その日は神経内科と整形外科。スムーズに診察が終わって、会計を待っている時、おばあちゃん『右胸に硬いグリグリするのがある』って言い出して。


その時、私は何で先に言わないの‼️神経内科の診察の時、相談出来たのに、そしたら今日外科で診てもらえたかもしれないのに‼️』って怒ってしまいました。


その日、整形外科の診察で、骨粗鬆症が少し進んでいるからって月一回の注射を勧められたけど、自分の通院頻度も増えて、父が亡くなった後の色々な手続きもまだ残っていたりして、それに月一回の母の通院となると、また仕事をたくさん休まないとならないしって一瞬で考えて、先生は月一回を推したけど、半年に一回の注射と内服にしてもらいました。でもそれでいいのかなぁってモヤモヤしているところに、右胸にとか言うもんだから、今度は外科?って正直なところため息が出ちゃう気分でそんな風に言ってしまいましたショボーン


元々母の通院は私が担当で、母も私が良いっていうから姉には頼まずやっていて、父の介護が終わっても全然落ち着く気配はなくで。。えー


そしたら母がおばあちゃん『いいや、しこりじゃないよ、なくなると思う』って言って、私もその日はもう会計も終わりだし、また再診するってことは考えられなくて、そのまま帰りました。


その後もずっと気にはなっていたんだけど、骨粗鬆症の注射を、月一回の通院に出来ないか色々考えてみたり、でも右胸の硬いのが乳癌だったら、もう整形外科は諦めるしかないなって考えたり。。とにかく考えること先決で、その前に右胸を確認するってことを後わ回しにしてました。


なんとなく乳癌だろうなと思っていて、右胸を触ったら、そこからまた怒涛の日々が始まるんだろうなって予測できたから、自分の予定をまず整理して、確実に母を病院に連れていける日の直前に確認しようと思ったからです。


7月15日

ちょうちょ『お母さん、右胸の硬いのなくなったはてなマーク

おばあちゃん『まだあるよ。。』


16日はお休みで、またしばらく土曜日は忙しくなっちゃうから、この日しかないと思って聞きました。


ちょうちょ『ちょっと見せて』


明らかに硬くてコロコロと動くしこりがありました。

私がしこりに気づいた時と同じ感触でした。


間違いないなと、その時、心に受け止めました。

閉経後に出来るしこりは悪性の可能性がかなり高いということは分かっていました。

46歳でしこりを感じてイノッチ先生の外来を受診した時に確か言われました。私は閉経していなかったけど、46歳という年齢でのしこりはそれに近いと。


母、2度目の乳癌になったんだ。。と思いました。


祖父母のことを思い出しました。

祖父が亡くなって1ヶ月後、祖母の大腸癌肝転移がわかりました。

父が亡くなって1ヶ月で母が乳癌。。

これが運命ってことなのかなぁと。


そして母が、胸に硬いものがあるって私に言った日、6月28日は奇しくも私が乳癌の告知を受けた日でした。


サムネイルは父のために用意した盆提灯。

父も帰ってきて早速心配してるかな。。