思い切り感情を揺さぶられた時どうしたらいい?
そんな時は、思い切りその感情を味わってあげよう。
できれば、それを表現してあげよう。
例えば、誰かにめちゃくちゃ怒りを感じた時。
それを相手にぶつけてしまっては、きっとなんの解決にもならない。
より被害が広がるだけ。
できれば、誰も居ないところに行って、思い切りその感情を感じてみる。
そして、表現してあげる。
思い切り悪態をついて怒鳴ってみるとか、
あまりオススメしないけど、モノにあたってみるとか。
悲しいなら、思い切り泣いてみる。
泣き叫んでみる。
感情を感じてあげて、思い切り表現してあげる。
そうすると、どこかで
「クスッ」
と、笑っている自分が現れる。
「いや、ちょっと今のは大げさでしょ。」
「いまのはちょっとウソっぽいな。」
とか。
ちょっと引いた所で、上から目線で見つめてるもうひとりの自分。
そいつが今いる次元のもうひとつ上から見つめてる自分。
そう、これが小さなアセンション。
次元上昇したってこと。
目の前のことに夢中になると、この視点を忘れちゃう。
この視点を、いつでも取り戻せるようになると、
いろんな事が、思うとおりになっていく。
でもこの視点、何か感情を揺さぶられるような状況にならないと
見つけられなかったりする。
夢中になると忘れちゃうんだけど、夢中にならないと見つけられない・・・
このパラドックス (^^)
だから、ピンチや、嫌なことや、不安なことに出くわしたら
それは、アセンションをするチャンスなんだ。

バリ島には、一年中花が咲き乱れます。
様々な種類の花が、あちこちで花を咲かせます。
今朝も我が家のプールの周りでは、薄桃色の大きな蓮の花が美しい花を咲かせました。
人は、いろいろと思考を巡らせ、
不安と恐怖に自らを縛り付けてしまうけど、
ただ、この世界の豊かさを受け取ればいい。
とても信じられないと、思うかもしれないけれど、
この世界は無限の豊かさに満ちている。
ただ、受け取るだけでいい。
ただ、受け取ることを自分に許可するだけでいい。
あなたがあなたである事を、許してあげるだけでいい。
ただ、受け取るだけで花は美しく花開く。
あなたの花が、平和のうちに美しく花開きますように。
怒りを感じる時って、どうしてもあるよね。
その感情は、大切してあげてください。
それは、とてもとても大切な人生の醍醐味だから。
でも、そこに捕らわれていたら、とてももったいない。
怒りのエネルギーは莫大なエネルギー。
そのエネルギーを、愛に変換できた時、
あなたはその巨大なエネルギーを自分のものとして
活かせることが出来るようになる。
怒りの下には悲しみや恐れが隠れている。
もし、あなたが怒りを感じたなら、
あなたはその怒りの裏で、何か悲しいのか?何が怖いのか?
少し落ち着いたら考えてみるといい。
きっと、怒りを感じた対象とは関係のないところに
その悲しみや恐れの原因があるかもしれない。
そしてその見たくない、認めたくない
悲しみや恐れにまみれた、
許せない自分自身を、誰かから見せつけられると
猛烈に怒りを感じ、攻撃したくなる。
そうして誰かに向けた刃は、
やがて自分に返ってくる。
だって、刃を向けた相手は、
認めたくない自分自身なのだから。
無責任な人に怒りを感じるとき、
自分の中の抑え込んでいる無責任な自分が見えるから
怒りがわいてくる。
わがままな人に怒りを感じる時
本当は自分もわがままなのに、「いつも私は我慢してるんだ!」って
思っている人は、わがままな人を見ると腹が立つ。
世界は鏡。
目に映るものは、自分の中にあるからこそ目に映る。
もし、世の中は絶望的に怒りに満ちているって感じる時は、
どうかまず、自分をゆっくり休めて、いたわってあげて下さい。
そして、自分自身を許してあげて下さい。
自分にとって楽しい事をやってください。
楽しむことを、自分に許してあげて下さい。
そうすることで、あなたの世界の怒りは消えていき、
怒りや破壊に使われていたエネルギーは
より建設的な愛のエネルギーに変換され、
あなたの人生がどんどん進みだします。
あなたが癒されることで、世界も癒される。
僕らはつながってる。
P.O.I
先日、あるクライアントさんから質問されました。
「あなたにとって【幸せ】とはなんですか?」
その時降ってきた言葉
「【幸せ】とは、今この瞬間に自分で選択するものである。」
幸せは、今ではない未来にあるものでも、過去にあるものでもない。
今、ここにしか存在しない。
今この瞬間、どんな状況にあろうとも、自分自身が【幸せ】を選択すれば、
僕たちは幸せでいられる。
はたから見て、どんなに豊かな状況に見えても
当の本人が【不幸】を選択すれば、その人はこの瞬間不幸になる。
はたから見て、どんなに悲惨な状況に見えても
当の本人が【幸せ】を選択すれば、その人はこの瞬間幸せになる。
何かの条件がそろえば、幸せになれる・・・
というように外的な要因に左右されるものでなく、
自分自身の主体的な選択によって得られるものである。
・・・なんて感じのイメージが降ってきました。
T.G.
「あなたにとって【幸せ】とはなんですか?」
その時降ってきた言葉
「【幸せ】とは、今この瞬間に自分で選択するものである。」
幸せは、今ではない未来にあるものでも、過去にあるものでもない。
今、ここにしか存在しない。
今この瞬間、どんな状況にあろうとも、自分自身が【幸せ】を選択すれば、
僕たちは幸せでいられる。
はたから見て、どんなに豊かな状況に見えても
当の本人が【不幸】を選択すれば、その人はこの瞬間不幸になる。
はたから見て、どんなに悲惨な状況に見えても
当の本人が【幸せ】を選択すれば、その人はこの瞬間幸せになる。
何かの条件がそろえば、幸せになれる・・・
というように外的な要因に左右されるものでなく、
自分自身の主体的な選択によって得られるものである。
・・・なんて感じのイメージが降ってきました。
T.G.
もし、僕たちが心から
【世界は無限の豊かさに満ちている】
そう信じられたら、どんな世界になるだろう。
現代の科学技術をもってすれば、全人類に必要なだけの
食料を生産することは可能で、必要な水やエネルギーを
供給することも可能なはず。
また、世界の金融市場で動いているお金を、
地球の総人口で割ったら、1人当たり、
赤ちゃんでも、老人でも、1億円のお金を
持てる事になるそうだ。
では、なぜ貧しさが存在するのだろう?
それは、
「1億円のお金があってもまだ足りない」
「それは、きっとなくなってしまう。
「誰かに、自分の持っているものを分けてしまったら、
自分の分が、自分の身内の分がなくなってしまう。」
そんな風に恐れているから。
そんな風に、信じているから。
もし、誰かに何かを分けても、必ず自分のところに
それが何らかの形で戻ってくると信じられたら、
どうなるだろう?
ある日、僕たちはとても素敵なレストランで食事をする。
とても雰囲気が良くて、食事もおいしくて、
とても充実した時間を過ごす。
僕たちは、とても満足して
「ごちそうさま。とてもおいしかったです。また来ますね。」
そう言って、店を出る。
店の人も、僕たちが喜んだ事をまた喜んで、笑顔で
「ありがとうございました。」
と返す。
ありふれた風景だけど、何かが違う。
そう、僕たちはお金を払っていない。
でも、僕たちは信頼している。
そのレストランにも、僕たち以外から豊かさが流れている事を。
食材は、生産者から無償でとどけられ、
水道やガス、電気も無料で供給されている。
従業員も、そこで働きたいと思っている人たちが
無給で働いている。
僕たちは、無償でおいしい食事と、素敵な空間を手に入れたけど、
僕たちもまた、誰かに無償で自分の提供できるものを提供している。
誰もが、欲しいものを欲しいだけ、無償で手に入れられ
行きたいところへも、行きたい時に行ける。
そして、自分が提供できるものを提供できる時に、
提供できるだけ分かち合えばいい。
だって、僕たちは無限の豊かさに囲まれていて、
決して飢える事はないのだから。
確かに、夢物語に聞こえるかもしれない。
でも、お金そのものが幻想なんだ。
それに価値があると信頼しているだけなんだ。
毎月、給料日にはこの豊かさが入ってくると
信頼しているだけなんだ。
これを渡せば、おいしいものを食べさせてくれるって、
信頼してるだけなんだ。
これを渡せば、自分の欲しいものを譲ってもらえるって、
信頼しているだけなんだ。
もし、この信頼をちょっと別のモノに移せば、
例えば、【愛】とか【感謝】に移したら・・・
もしかしたら、それは難しい事ではないかもしれない。
僕たちは、とかくお金に振り回される。
何をするにもお金が必要・・・そう信じ込んでいる。
そう、お金には価値があると信じ込んでいる。
たとえ【お金】が、【金】に変わったところで、
根本的には変わらない。
【それを欲しがっている人が、他にもいる・・・】
そう信じ込んでるだけ。
それは、幻想。
かれこれ20年近く前に、ソ連崩壊後のモスクワに立ち寄った時、
そこで買い物をしようとすると、米ドルでないと買い物ができなかった。
ロシアなのにルーブルは使えず、米ドルでないと買い物ができない。
そんな冗談のような現実があった。
あの時のロシアの人は、
「ルーブルを欲しがっている人がいる」という幻想は手離し、
「米ドルなら欲しがっている人がいる」という新しい幻想を手に入れていた。
こういう事は、実は戦後の日本でも起こっていた。
世界では、結構、当たり前に起こっている。
そして今、ギリシャやスペインがまたそんなことになりそうになってる。
そして、今や世界はつながっているから、
もしかしたら、日本にもその流れは来るかもしれない。
お金の価値、つまりお金への信頼がなくなると、
どうなるのか?
考えてみて。
もし、あなたが他の人が欲しくなるようなものを持っていたとして、
「それを、譲ってください。」という人が何人かいて。
今までだったら、
「私は○○円出します。」
「なら、私は○○円出します。」
みたいな、オークションみたいな事になっていたかもしれない。
でも、あなたにとっては【○○円】ってものに、
一切魅力を感じられないんだ。
だって、もう誰も【円】なんて、誰も欲しがってなくて、
【円】をもらっても、それはただの紙切れなんだから。
まあ、実際はそういう時には、ルーブルと米ドルみたいに
別の通貨に価値があるという幻想に移っているかも知れないけどね。
でも、戦後の日本もそうだったように、
【お金を出しても、モノを売ってくれない】
そんな事だって起こりうるんだよね。
そんな時、もし、あなたが他の人が欲しがるモノ、サービスを
持っていたとして、
その欲しがる人たちが、【お金】のような、
【とりあえず価値が減らない。変わらない。】と信じられるような
ものを持っていなかったとして、
それを欲しがる人たちにあなたはどういう基準で、
あなたの持っているモノ、サービスを分かち合いますか?
自分の得になりそうな見返りをくれそうな人?
自分の好きな人?
世の中の為になりそうな人?
これからの時代、こういう感性が問われる時代がやってきそうだね。
バリ島の人たちは、とても笑顔が印象的です。
大人もみな、子供のように屈託のない笑顔で笑います。
いろいろと話を聞いてみると
どうも、自己肯定感がとても強いようです。
バリの人たちは、とっても子ども好き。
子供たちは、あまり大人から叱られないで育ちます。
街中で、子供が注意されたり、怒鳴りつけられている光景を
見たことがありません。
子どもが何をやっても、たいがいの事では怒られません。
たぶん、日本だと「過保護!」って言われるかもしれません。
つまり、あまり否定されずに育ちます。
するとどうなるか?
わがままで嫌な奴になりそうですよね?
でも、バリの人たちはとても平和な人たちで、
大人たちが喧嘩をしたり、
誰かを威嚇して、強さをアピールして歩いているような人も
見たことがありません。
いわゆるティーン・エイジャーと呼ばれるような世代でも。
そして、屈託のない笑顔を見せてくれます。
ただ、頑張る事は出来ないかもしれません。
だから、スポーツの世界チャンピオンみたいな人は出てこないかも。
誰かに褒められるために、自分を認めてもらうために
頑張る必要がないから。
競争して、他の誰かよりも優秀で、自分には価値がある・・・
なんて事を自分に証明する必要がないから。
だから、頑張れない。
いつもダラダラ、でもニコニコと暮らしていられる。

もちろん、ナンバーワンを目指すのも美しい。
そして、ナンバーワンにならなくても美しい。
あなたが、どちらを選ぶか?
あなたは、どちらが好きか?
どちらも、間違ってはいないんだよね。
何かから攻撃を受けている時、私たちは痛みを感じる。
痛みを感じると、私たちは【痛み】や【攻撃】に
恐怖を抱く。
そしてその恐怖から逃れたくて、その何かを、
もしくはその何かを連想させるものを攻撃したくなる。
でも、その【何か】とはなんだろう?
【何か】とは自分以外のモノ?
では、【自分】と【自分以外のモノ】との境目は
どこなのか?
僕らが吸い込んだ空気は、どの時点で
【自分以外のモノ】から【自分】になるのか?
僕らが食べたものは、どの時点で
【自分以外のモノ】から【自分】になるのか?
僕らが排泄したものは、どの時点で
【自分】から【自分以外のモノ】になるのか?
たぶん、納得できないかもしれないけれど、
もしかしたら、僕たちはすべてのものとつながっている。
だとすると、【自分以外のモノ】を攻撃するという事は、
【自分】を攻撃していることにならないか?
もし、【自分】が痛みを抱えているとしたら、
それは【自分以外のモノ】からの攻撃だろうか?
もしかしたら【自分以外のモノ】=【自分】だとしたら、
【自分】で【自分】を攻撃しているのかもしれない。
アレルギーなどの痛みは、まさに【自分】の免疫力が
【自分】自身を攻撃している姿だ。
【自分以外のモノ】を攻撃するという事は、
【自分】を攻撃することと一緒なのではないか?
何かを激しく攻撃する人は、
比例して何から激しく攻撃もされる。
その何かは【自分】自身も含めて。
【自分以外のモノ】からの攻撃をやめさせるには、
まずは【自分】が攻撃を止めなくてはならない。
それは【自分以外のモノ】を許すこと。
【自分以外のモノ】を許すには、まず、
【自分】を許すこと。
どうか、あなた自身を抱きしめて、許してあげて下さい。
前回、「つらい努力はしないほうがいい」というような話しをしましたが、
それに絡めてもうちょっと掘り下げてみようと思います。
僕の出会った一流の人たちの例として、何かに【夢中】になって
取り組んでいる人たちのことを書いたたけれど、場合によって、
それは【夢中】ではなく【中毒】である事もあります。
例えば
「ひたすら利益を上げようと24時間ビジネスの事を考えている経営者」
確かにこういう人は、ビジネスの世界ではトップクラスに入れると思います。
でもきっとプライベートは破綻しているでしょう。
やはり、どんなに好きなことであっても周りが見えなくなるほど
のめりこむ事は【バランス】を崩しています。
なぜ【バランス】を崩すのかと言えば、
それは【恐れ】の感情がベースになっているから。
それは【恐れ】の感情がベースになっているから。
なぜ、利益を上げることが必要なのでしょう?
「従業員やその家族を養わなければならないから。」
なぜ、従業員やその家族を養わなければならないのでしょう?
「それが、経営者の責任だから。」
なぜ、経営者なのでしょう?
「人に雇われたくないから・・・多くの報酬が欲しいから。」
なぜ、多くの報酬が欲しいのでしょう。
「家族を養うために・・・人よりいい暮らしがしたいから。」
なぜ、人よりいい暮らしがしたいのでしょう。
「・・・人にバカにされたくないから。」
なぜ、バカにされたくないのでしょう。
「・・・自分が無価値だと思いたくないから。」
なぜ、無価値だと思いたくないのでしょう。
「それは・・・○○から、見捨てられたくないから」
では、なぜ・・・
と言った感じで、強そうに見える人でも、感情を掘り下げていけば、
どんな人でもみな何か【恐れ】を抱えて生きています。
どんな人でもみな何か【恐れ】を抱えて生きています。
でも、この【恐れ】が強い人ほど、その【恐れ】と向き合わないように
するために、何か別のことにのめりこみます。
何かにのめりこんでいれば、他の事を考えなくてすみます。
【恐れ】を感じなくてすむからです。
ある人は、パワーを求めてビジネスや、暴力にのめりこみます。
ある人は、ファンタジーを求めてアニメやゲームの世界にのめりこみます。
ある人は、快楽を求めてお酒やドラッグ、セックスにのめりこみます。
どれも【恐れ】から逃げるための行為です。
そして【恐れ】から逃げていても【恐れ】は無くなる訳ではありません。
だからまた、一瞬でもその【恐れ】を忘れさせてくれるものにのめりこみ、
【依存】していきます。
このように何かにのめりこむ事は【中毒】です。
「これをしているのが楽しくてしょうがない!」
子供が時間を忘れて、日が暮れても遊び続ける・・・
そんな【喜び】ベースののめりこみ方は【夢中】です。
【夢中】と【中毒】は、とても似ていますが、別のものなのです。
そして、この【中毒】になっている人は、ご自身で気づいていないだけで
本当にたくさんいらっしゃるように感じます。
今まで出会ってきた、いわゆる成功者と言われてる人の中にも、
この【中毒】になっているような方はいっぱいいらっしゃいました。
まあ、逆に言うとお金に対して【中毒】といわれるくらいのめりこめば、
誰でもいわゆる「お金持ち」とよばれる「成功者」にはなれると思います。
お金は【喜び】だろうと【恐れ】だろうと、エネルギーの大きいところに
流れていきますからね。
ただ、【恐れ】からスタートしたエネルギーは、大きくなっても
【恐れ】を増幅するだけだったりします。
そしてその事が怖くて「豊かさを受け取れない」人たちも多勢います。
もし、あなたの人生で
「何かを変えたいと思いながら、なかなか変わらない。」
と思うような事があれば、この【恐れ】と向き合うことが
スタートになるのかもしれません。
それはとてもつらかったり、怖かったりするかもしれませんが、
でも意外と「えっ!?、こんな事が怖かっただけなんだ。」
と言う感じで、【恐れ】を認めてあげただけで、一瞬で変わる事もあるのです。
昔は美しいとされていた
【努力】【根性】
もちろん、今でもそれが美しいと思っている方は多いと思います。
人が目標に向かって努力する姿は、確かに美しい。
でももし、その努力があなたにとって辛いことであるなら、
そんな努力はしなくてもいいものなのかもしれない
と思っています。
今まで多くの一流と呼ばれる人たちに出会ってきましたが、
その人たちはどうも努力しているようには見えない。
いつでも鼻歌を口ずさんでいる歌手。
どこでも落書きを始める漫画家。
いつでも人を笑わせて、面白いことを探す芸人。
何時間でもPC画面に向き合うWEBデザイナー。
一日中、人と話しをしていても疲れないセミナーリーダー。
いつでも、ビジネスのことを考えている経営者。
たぶん、ある視点から見ればそれはとても美しい
【努力】をしている姿に見えます。
でも、別の視点から見れば彼らは【楽しんでいる】だけで、
【努力】はしていない。
もし、あなたが努力を楽しんでいるのであれば、
ぜひそれを続けたほうがいいと思います。
ぜひそれを続けたほうがいいと思います。
でももし、自分が「努力している」「努力しなきゃ」と思っているとしたら、
それは努力しないほういいのかもしれない。
たぶん、その【努力】は、自分の【喜び】のためのものじゃない。
自分以外の人のために、誰かから認めてもらいたくてしている【努力】
かもしれないから。
そういう【努力】は、「誰かに認めて欲しい」「誰かに負けたくない」
つまり、「誰からも愛されないかも知れない」
そんな【恐れ】の感情からスタートしています。
そして、そういう【努力】の結果は、当然他人の評価に左右されます。
そして多くの場合、他人との比較の対象になり、
そして大抵の場合、【恐れ】ベースの努力をしてきた人は、
「これをしているのが楽しくてしょうがない!」という
【喜び】ベースの努力をしてきた人にかなわなかったりします。
もちろん誰かに勝つ必要すらないのだけれど、
もし、「自分は努力している」「もっと努力しなきゃ」と思っているとしたら、
それは方向性を変えるサインなのかもしれません。
あなたの【天才性】は、
あなたが【楽しくてしょうがない】事のなかにあるはずだから。
