久しぶりのブログ更新になってしまいました!
関東は梅雨入りし、じめじめした日々が続いていますが、みなさんお元気にお過ごしでしょうか。
私は相変わらず元気にやっています。
3年間住んだ町田市を引越し、
長崎に一人旅したり
(酒)
両親と北海道へ行ったり
(やっぱり酒)
わりと忙しく毎日が過ぎていきます。
忙しさのもう一つの理由は、約2ヶ月前に子犬を迎えたことです。
これはペキニーズとトイプードルのハーフの子。
(サンリオキャラみたいな顔しててほんとにかわいい)
このブログを読んでくださっている方達に何かメッセージを発したいとずっと思っていたのですが、
以前のブログに書いたように、私自身がいま心理カウンセラーとしての勉強をしているため、スピリチュアルカウンセラーとしてやっていたアプローチや考え方に変化があって、
ようは過渡期なもので、まだ統合されてないさまざまなことがあるので二の足を踏んでいました。
アプローチは、直感に頼っていたものから、クライアントさんにいろいろお話しを伺って、そのお話しから心理分析する手法を学んでいますし、(それでも直感は大事です)
考え方としては
「いかに受け取るか」を中心に考えていたものが、「自ら与える」「自ら愛する」ことの重要性に目覚めました。
あと、怒りの取り扱いについても変わってきています。
怒りを悪いものとして扱わない、抑圧しない、そして怒りは別の感情の蓋であるという点については同じなのですが、
一方で、
怒りに囚われている間は幸不幸の主導権を相手に委ね続けることになるので、なるべくなら早く手放した方が良い、という考え方をより強く認識するようになっています。
「怒り」でギアを入れて物事を躍進させることもあるので、短期的にはポジティブなエネルギーとして使えることもあるのですけどね。
それに連動して、
癒されるためには「人を許すこと」がとても効果的!という視点も以前とは違う部分です。
これは道徳的な意味で言っているのではありません。
そっちのほうが楽になれるからです。
でもねぇ「許し」って難しいですよね。本当に難しい。
特に、長い因縁の相手だと、いまさら許すなんて、すげー損したような気がするし。
ただでさえ被害者の自分が、さらに相手のために犠牲を払わなきゃならないような、理不尽な気持ちになるし。
だから、「許さなくてもいいよ」っていう考えが出てくるのも自然なことだし、怒りを逃げ道に使うことが人生にはあるものだと思うのです。(私もある)
ちょっと厳しい見方をすると
許さないこと=怒りに固執することで、「本当に欲しかったけど、手に入らなかった(と思っているもの)」から目を背け続けることができるかもしれません。
「すばらしく大きな愛の人」になることを、自分に許していないのかもしれません。
だけど
「許す」=「大嫌いな相手を好きになる」
ってことではないんですよ。
「気にならなくなる」「囚われなくなる」って感じでしょうか。
その第一歩として、「相手を理解すること」があるのですが、
ここでまた「なんで私がわかってあげなきゃならんのだ」みたいな怒りのブロックが出てきて、
まぁ本当に一筋縄ではいかないわけです。
それでも、許せた日には、本当に心が軽くなります。
そして、自分が自由になれます。
それは、感情の責任、、ひいては人生の責任を改めて自分に引き戻すことであり
頭のほうに行っていたエネルギーを足元に移すことでもあり
「さあ、今の私には何があるの、どうありたいの、どうしたいの」という問いを自分に投げかけることでもあるから、すこし怖いことも、ときにはありますけどね。
先ほどからお伝えしている、怒りを手放したり、許せない相手を許したり、自ら愛を与えることの必要性というのは
人間は、何かを愛すること、愛しあえることを至上の喜びにしているという考えに基づいています。
それはつまり、愛せないこと、分離することが最大の苦痛になりえるわけです。
「愛しあえる」「愛しあえない」というのは、他者との一対一の限定的な意味にかぎらず
怒りを使って誰かと分離していない状態
優しさや思いやりを通して世界を見ている状態、とも言えるとかもしれません。
そのことが、結果的に孤独や罪悪感や無価値感を癒してくれる。
幸福はひとりぼっちでは完結しません。
だからと言って、孤独を愛する人を否定しているわけではありません。
一人で過ごす時間のなかに、自分を満たしてくれる愛があるなら、それでも全然おっけーなのですが
(それでも誰かとの繋がりはあるでしょうし)
人々の悩みや苦しみの多くが、人とうまく繋がれないこと、つまり人間関係の挫折が根底にあるのもおそらく事実なのです。
自分とつながることはもちろん大切です。
でも、「自分探し」の穴掘りをやりすぎると、周囲と分断化・孤立化することもある気がしていて。
視線をちょっと外に向けて、
自分から、誰かとつながること、誰かに愛を与えること。
やりやすい相手から、やりやすいやり方からでいいんです。
いきなり、めっちゃ嫌いな奴に愛情を注ぐとかってまず無理ですからね。
それによって循環する温かいエネルギーは自分自身を間違いなく包み込んでくれますし、じつはそれが「自分を愛する」最短の方法なのかもしれないと最近は思っているのです。
私自身は、「受け取る」から「与える」に視点を変えた時、
自分のなかで最後まで癒えなかった硬くて暗い塊が急速に溶解したように感じました。
「愛すること」は間違いなく人を癒します。
もちろん、私もまだまだ道半ばで、器もそれなりに小さく(笑)ふつうにブチギレることや、許せない出来事に遭遇することもあるのですが
これからも「愛を選び続けること」を諦めないでいたいと思うのです。
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