こうなり始めたらもう終わりだ。
そういう予感に感づくようになったのはいつからだったか。

ひとつの恋愛を私から終わらせるとき、いつも最後は嫌悪と軽蔑に行き着く。
嫌悪、愛着、軽蔑、未練が交錯し、好きじゃないの離れられない時がいちばん苦しい。
踏ん切りをつけずにいると、嫌悪の度合いは乱高下を繰り返しながら段階的に高まって、何かちいさな出来事を引き金に、自己解放のための痛みに自ら覚悟をきめてつきすすんでゆく。

それで勇気を振り絞って別れ話をして1日わんわん泣いて、(たいして好きじゃない時ほど大袈裟なくらい泣けるのだ)
2日後にはただただ嵐の後のような清々しさで心が満たされている。
それで女友達と会ってしみじみ言うのだ。
「ああ、せいせいした」

一連の流れは経験的によくわかる。
だから、ほんのささいな、いちばん最初の違和感にもすぐに気がつく。
気がついてしまったら、いままで許せていたものが許せなくなったり、発言のひとつひとつが気に障るようになったり、コンタクトを取ることが時間の無駄だと思うようになるまで、そう時間はかからない。
腫れ上がってゆく傷口のようなものだ。

さらに時間の無駄だと思いながらも連絡を取るから、そのことが余計に嫌悪感を募らせる。相手はわるくないけどね、それに関しては。

思うのだけれど、
こういうとき、自分のエネルギーが変わって、相手の波動と合わなくなってしまっているのだと思う。
ひとつの学びが終了し、きれいに言えば相手を「卒業する」。そんな感じだと思う。

そして、相手を卒業するパターンは、男より女のほうが多いように思う。

相手の許せないポイントが増えるというのは、
相手が悪い方向に変わったんじゃなくて、私が変わったということ。
彼はいままで通りの彼なのだから、
責める気はないけれど。