こないだあるコミュニティの飲み会があったんだけど、
酔っ払った私は同席のある男性に、だいぶキツい冗談を飛ばし続けた。
差別発言とかそういうのではないけど、
「そこまで言うか!」みたいな、きっっつい冗談。
飲酒中の意識は明晰夢みたいなもので、
私は己の所業のすべてを覚えているタイプです。

しかもぶっちゃけ酔ってるときって本心が出てくるので、そのキツいことばはその人に対するキツい感情そのものであることに間違いはなく、
でも人目を気にする私は、酔いが覚めた翌日にかなり落ち込むことに。

やはり公衆の面前で女の私から芯を食う言葉を浴びせられたことに彼はプライドが傷ついただろうし、
人を傷つけてしまった罪悪感とか、楽しいお酒の席で醜態を晒してしまったこと(私は人のプライドを傷つけることを、自分の鈍さから出てくる醜態だと思っている←自分への厳しさの表れ)、あるいは空気を読めない自分への自責の念でガタガタになって、「おお、こんな時にも自分を責めないってかなり難しいな、どうしたらええねん」と震えていたんですけども。


それで「どうやったら自分を責めずに済むか」なんつーことをグダグタと考えていたんだけど、

そもそもなぜ私が彼に悪意を向けることになったのか、ってことに目を向けていなかったんだな。

思い出したのはその飲み会から遡ること数日前。
また同じ男性と別の面子で食事をすることがあり、
そこで私は彼に不快なことを言われたんだった。
(その人、私より一回り近く年上なのに、私を故意にオバさん扱いしてくる)

その時は笑顔で流したのだけど、
じつのところ私は怒っていたし、ぶっちゃけそのオヤジのことが嫌いだとも思ってた。
その怒りを自分で見ないようにしてたんだけど、次の機会に酒によって理性がぶっとんで、
怒りと憎悪が噴出したというわけ。
そして言葉の毒矢を刺すに至った。


私、自分の言葉がときにかなり強いことを知っているので、
ふだんはナイフを抜かないように注意を払って生きていて。
昔は、「毒舌」呼ばわりされてもそれの芸のうちだと思ってた頃もあったけど、
いまはやっぱり人を貶したり批判したりするのは、自分のエネルギーが傷つく感覚があって好きじゃない。(まあそれでもたまには言いますけど)
だから、ひさびさに人をdisった後味はかなり悪く、もうぐったりしていた。
というのも、やはり他者への攻撃って自己防衛であることが多々あるのだ。
自己防衛のために必死で盾と刀を振り回している自分を、私は嫌いなんだと思う。

そう考えたら、私そこまで悪くないよね?10:0で相手の過失だとも思わないけど、
私だけが自分を責めなくてもよくね?
と思ったんだけど、
かわいそうなことに私は私を傷つけた相手をかばって自分だけを責めていたのだ。


そしてもうひとつ見過ごせないのは
「おじさんが自分より遥かに年下の女をババア扱いする問題」
について。これはもしかして、女の年齢にはシビアだけど自分の年齢にはグズ甘で、いつまでも自分だけはフォーエバーヤングだと思っている男の一種のパラノイアみたいなもんなのかもしれないが、
これもまあロリコン大国日本の疫病みたいなもんだから仕方ないと思いつつ、
しかしやはりムカつくものはムカつくのである。
私は年齢で判断されることに過剰に敏感で、
なおかつそんな自分を許せないとも思っている。からかわれて怒るなんて、余裕がないなぁって思う。そしてここでもまた出てくるのが私のなかの「理想の女像」
決して人を傷つけず、年齢や容姿を揶揄されても軽やかにかわせるスキルと余裕のある女。
そういうものに私はなりたい、なれないと許せない。なれない自分が嫌い。と、どこかで思っているのだきっと。(それでも最近はだいぶマシになったけど)
この理想像で自分をがんじがらめにしてる状態って、かわいそうだよね?
かわいそうだし、正直不毛だ。
正しく前に進めなくなる気がする。


そんなことを考えた数日間だったので、
私に気づきをもたらすために舞い降りた天使なのかしら、このクソオヤジは。(男性→クソオヤジにアップデートドキドキ