私はY氏の感情の責任を取ろうとしている。
というのが昨日の発見だった。


雨で仕事が暇だったのか、彼は細切れに電話をしてきて、オフだった私はなんだかんだで一日中彼と繋がっている状態だったのだけれど、
まあ私の癖で、悪ノリが過ぎることがあって。
悪ノリを謝るつもりでさらに悪ノリを重ねるという暴挙に出ることも多々あって。(タチ悪すぎ)
そうなるともう自分でも手に負えないんだけれども、
ちょっとしたブラックジョークで彼を傷つけてしまったかなぁとおもい、
謝ったけど、それがいまいち伝わってる感じがしなかった。


話は遡ること1年くらいまえ、
彼と正式にお付き合いしていた頃、
「女は喧嘩しても謝らなくていい」と、ある人に言われたことを真に受けて、ぜったいに自分からは謝らない時期があった。
その人ってまあまあ売れっ子の恋愛カウンセラーの女性なんだけど、

「謝らなくてもいい」をはじめ、その人の教えって今思うと、男に対してマウントを取る、死んでも男の「下」になってはならない、損をしてはならない、みたいなゴリゴリの損得勘定と敵対心がベースにあって、
すべてが「恋愛で負けない、傷つかない」というところに集約されていた。つまり、恋愛の力関係で男をねじ伏せることができれば、永遠に尽くされて幸せになる、という理論があったわけ。

今思うとその下にはさらに男性嫌悪というか恐怖があって、
なんで男が嫌いかっていうと、男によって自分が傷ついたことを自分で癒せてないってことなんだと思う。復讐の真っ最中だったんだと思いますよ。恋愛工学みたく。ちなみに彼女は、だから自分の事も嫌いだったと思うのだ。
愛と真逆の恐れを根本に抱いたままで、テクニックだけで相手を振り回そうとしても結局誰も幸せにならないけどその時の私は迷走に迷走を重ねてたから(あと、私の中にも男性嫌悪があったから)彼女を盲信してた。
でも、
「絶対謝らない」とか「男にすべて奢らせろ」とか、「高価なプレゼントを貰え」といった前時代的な教えを実行するのが段々キツくなってきてですね。
それはやっぱり、私の本心との剥離があまりに大きかったからで、
「彼に尽くすのをやめて自分軸で生きろ」
という教えはその通りだと思いますけど、
このままだと「彼に尽くすのをやめてカウンセラー軸で生きる」
ことになるなぁと思った。

彼に無理をさせちゃうことに申し訳なさもあったし(彼女はバブル世代、私は就職氷河期世代 笑。本心と関係なくお金を使わせても、純粋な喜びは得られない)、そういう偏ったパワーバランスで成り立つ関係って続かない気もしていた。
あと何より、「負けたくない、傷つきたくない」っていう恐れのエネルギーで引き寄せられる相手って、やっぱり恐れのエネルギーが強い人なんじゃないかな?
ということも思うようになり。(その鑑定士さんの彼氏っていうのが、カフェの店員さんに怒鳴ったりするようなガラの悪いオッサンだった。私まじで無理そういうの)

そんなこんな長い(ほんと長い)前置きを経てですね、
自分が悪いと思ったら素直に謝ろうという、私にとっての自然な形に戻ったので、
きのうは謝ったんだけど。


でも、たとえ謝っても、
その先の彼の感情の責任は彼にあるので、
そこまで私が面倒を見ることはできない。
そこは履き違えてはいけないと思っていて。

そう思っていたつもりなんだけど、
Y氏が傷ついたんじゃないか、嫌な思いを引きずったまま1日を終えてしまったんじゃないか、とか、ぐるぐる考えていた。
それは、彼に嫌われる恐怖っていうよりも、
どうにもならない他人の感情を庇い続けてたってことだと思う。
気づいたんだけど、私は彼を無力で可哀想な男だとどこかで思っているんだわ。
男としての、また人間としての能力をいまいち信用していなくて、リスペクトがないんだわ。
キツイ冗談も、たぶんそこから出てきたものなんだわ。
そう思うとはっとして、
でもエネルギーの世界ではあるものを無いことにはできないから、
感謝とか尊敬とか、頭でやろうとしても心では無理なのだ。
こういう私の感情の責任も、もちろん私にある。
責任ってぇと、罰のニュアンスで捉えられがちだけど、
そうではなくて「自分のもの」という意味ね。


自分だけのものであるこのほろ苦さを、さてどうやって救ってあげるか。