ベリーダンスやり始めてしばらく経った頃から、
ほかのジャンルのダンスにも興味がでてきて、
フラメンコはその中のひとつだった。
で、YouTubeで暇な時に観てみたりしてたんだけど。私が主に観てたのは、女性の踊り手で、
赤いドレス着て、扇子を持ってっていう、オーソドックスなやつ。

そんな私のフラメンコデビューが、なぜ男性の日本人ダンサー(ゲストは外国人だけど)だったのかと言うと、
これが不思議な巡り合わせで、
広告がFacebookのフィードに流れてきたからです。
それが映像付きだったから、ちょっと観てみたら、その瞬間に「うわーこの人観たい!」
ってなったのドキドキ
それでソッコーでYouTubeのチャンネルもフォローして、A席のチケット取って、東京国際フォーラムの3階席最前列で観てきた。
こういう時の行動の速さは我ながらなかなかだと思うわ。

いやもうほんとに素晴らしかった。
素晴らしかったって、ど素人の私が語れるウンチクなんてなにひとつ無いんだけどさ。
華やかな群舞があって、圧巻のソロがあって、艶やかなデュオがあって、
歌があって演奏があって、そのすべてで作り上げられた情熱的な舞台に、ただただ胸を打たれた。

身体で物語を語る人に憧れる。
言葉が多い私は、いつもすこしの劣等感をこめて非言語の表現に憧れ続けている。
だからダンスを習ってるんだと思うし、あの領域にはぜんぜん到達できなくても、エッセンスを取り入れることで自分のバランスをとりたくて。


いま、心が揺さぶられることを積極的に見つけて、
感情の渦に自分を投じるキャンペーンをやっている。(ていうか本来の私はそういうタイプで、そういう風に生きることを許したから)
感じるってとても官能的なことで、
それがセクシーな男性ダンサーだったら尚更だ。(本人の性的魅力は関係ない、技術がすべてである、というような白々しいことは私は言わない)


フラメンコって、迫害されたジプシー達の自己表現がルーツになっているらしくて、
情熱的とか魂の踊りって言葉でよく語られるし、
それはまさにそうなんだろうけど、
言ってしまえば情熱や魂は誰にだってある。そのへんを歩いているお爺さんにもきっとね。
みんなに喜びと怒りと悲しみがある。辛いことも楽しいことも。


だから、何がこんなに心に差し込むのかっていうと、
やはり情熱を抑圧して生きることが当たり前になってる世界で、
心の底のその熱い部分に触れられることで感応するものがあるのかもしれない。
自分の中の情熱にきづくのは、やはり人の情熱に触れたときだと思うから。

あとは、もうこれフラメンコあんまり関係ない話になってくるけど、
逃げ場のないところで徹底的に白日の下に自分を晒す覚悟の美しさも絶対にある。
優れたアートやエンターテインメントには、
客観によって磨かれたギリギリの均衡があって、
それってぞっとするほど美しいといつも思う。

アンダーグラウンドな表現にはアンダーグラウンドな表現なりの、
なにひとつ削られていない生々しい情熱が宿っており、それはすべての生命への祝福でもあるからまたべつの美質があるんだけど、


無駄を削る、磨き抜く、洗練させてゆく、
という行為には、情熱に伴う深い知性を感じるからなおさら琴線に触れるのかも。
そしてオーラってたぶんこういうこと。


にしてもにしても、
SIROCOさんはほんとに素敵でした。
ほんとに素敵でした。(2回言った)


久しく好きな男性芸能人がいない私だけど、2.5次元萌えの楽しさを久々に体感した。こりゃやめられんわ。たのしいもん。
それに女はときめきがないと、女としては生きられないもん。
なんつって。もう恋愛なんていらないと言ったのはどの口だ!





 
(右側の人。このラフな映像が何気に大好き)