「感情」と向き合う練習をしている。
あまりに深いトラウマとかはちょっとわからないけど、
いまのとこ感情と向き合うことにはメリットしかない。ランニング、早起き、ヨガ、そういうものと並んで精神衛生を保つ健康法としてめちゃくちゃいい。やればやるだけ自分が透明になってゆく。気持ちいい。
私自身、自分の感情を探るのは得意な方だと思ってたんだけど、これが全然まだまだだったと気づくことひとしきり。
感情って外に出す出さない以前に自分に対しても隠してしまうことが往々にしてあるわけで、まず隠しがちな喜怒哀楽をひっぱりだして自分のなかでそれを一切否定しない。
で、次になぜそのような感情が湧いてきたのかっていう大元を洗いだしてゆく。(それをやるのは主にネガティブな感情に対してだ)、
感情を丁寧に棚卸ししているので、もう私はだいぶ素っ裸。
自分に対して隠すものは何もないぞ。と、思っていたのだけれど!
それこそが意識の思い込みというもので、まだまだいくらでも手強い気持ちのもつれというのは出てくるのだった。
ウエットな話をすると、
今年の頭に別れて、いまは友達だかなんだかラベリング不明な関係になっている元恋人にたいする気持ちも。
会うたびに気持ちがゆらゆらなるのを私はぜったいに自分で認めたくなくて、(ということに、今の今まで気づいていなくて)
帰り道は余韻をぶち壊すようにパンクロックを聴きながら帰ってた。
そのゆらぎを認めたらまた苦しい境地に立たされそうで、
自分が惨めになりそうで、そのことがとても怖いのだ。
「続編のほうが面白い映画なんてないぞ、だから多少ゆらゆらしてもそれは今だけの気分だよ」
と、私を励ますもう1人の私もいるものの、
ほんとは彼と別れた夜道で聴きたいのは「London calling」なんかじゃなくてこんな曲。
ああ、ハバナイ!さいきんめっきり音楽から遠ざかってしまった私が割とこまめに配信をチェックしているバンドだ。
音が、言葉が、透明な切実さをもって踊ってる。
その気高い輝きで、ひとりぼっちの心と必ず手を繋いでくれる。
ゆらゆらする心は、
きっと大丈夫。なぜなら大丈夫じゃなかったことなんてただの一度も無かったから私は今こうして生きてるし。
何より私は私をもう二度と離さないし。