誰かに対しては優しいけど、またべつの誰かに対しては冷たい、という振る舞いを、私をふくめ多くの人が自然にやってるけど、
それって結局、ほんとうの愛ではない。
世界中の人々の、
たとえばどんな残虐非道な他者のことも、
我が子のように愛するというのは難しいけれど、
そもそも我が子に対して「愛」だと思ってやっていることすら、
ほんとうはそうとも言い切れないのが人間という生き物で。
ほんとうの愛というのは、対象を選べないのではないかとさいきん思う。
というのも、
真実の愛には、まず自己に対する揺るぎない、溢れんばかりの愛がある。
それが自分の輪郭を超えて溢れ出したときに、他者への愛になるもので、
グラスから溢れた水のように、流し込む先をコントロールすることはできないのかも。
それは、
(通俗的な愛のように)限定的で濃密なコミニュケーションではなくて、
穏やかでフラットで、幅広い優しさを生むのではないかな。
そんな人にわたしは心からなりたい。
だからこれからも自分を探ってゆくことを怠らないし、
それをみんなで分け合いたいのだ。
恋をしたときの、世界がきらきらと彩度を増すような感覚は、
恋する相手を通して、自分を愛した感覚なのだと思う。
自分と出会って、自分を抱きしめる感覚なのだと思う。
その純粋なときめきって綿アメのようにナイーブで、
いとも簡単に、執着とか自己否定とかそれゆえの打算とか、そういう重いものに姿を変えてしまうけど、
でも本来、愛というのはそのようにして、誰の心の中にもある。
それを、どこまで拡大できるか?
それは私のテーマだし、
これからの人類のテーマなのかも。