昨晩は久々に飲みすぎて、
半年ぶりくらいに会った元カレに、
「もう2ヶ月半もセックスしてない!」なんてぇ痛々しいセリフを気づけば吐いていた。
新宿の夜は深くて長い。
突き詰めると、
不倫するか、欲求不満を乗りこなして生きてくしか道はない。
そんなことを思いながら、いつもなら飲まないような甘い酒を飲む。
ガッツリ恋愛をする気力はないけれど、異性に触れられたいと思った時、
ここで出てくる選択肢に、
「割り切ったセフレ」ってものがあるけれど、
そもそも「絶対に好きにならない」ことが予見できる男になんて、抱かれたいとも思わないのだ。
じゃあその中間くらいは?
適度にときめきを抱けて、でも深入りしなくて、なおかつロマンティックなセックスができる相手。
思うにそれは、
相手の資質というより自分の資質が問われる話なのではあるまいか。
ちょうどよい相手なんてものはそもそも存在しなくて、(いるのは男だけだ。解釈を与えるのは自分)
めぐりあった相手に対して、自分の立ち位置をいかにちょうどよく調整できるか、ということ。
相手から近づかれすぎることは防ぎようがなくても、
自分から近づきすぎることを防ぐことができれば、
男女関係のストレスは大幅に解消される。
「近づきすぎる」って、物理的にもだけど主に精神的に。
近づきたい気持ちを我慢して距離を取るのは、
それはもうすでに恋愛の境界線を越境してるから、今はパス。
そうなんないように舵取りする能力が身についたら、ものすごく女の人生楽かも
ついでに、誰も傷つけず自分も幸せでバランスのとれたセックスライフを送るには
やっぱ、オープンリレーションシップの幸福への可能性はかなり伸びしろがある気がする。
(もちろん、リスクや問題がまったく無いとも思ってないけど)
固定概念に縛られないで、
なおかつ各方面から柔軟に慎重に検討してみる価値はあると思う。
夫婦の幸せと、個人の幸せは必ずしも完全一致はしない。
だけど、どちらも諦めなくていい時代はいつか来る気がしてる。
それは夫婦の幸せだけに限らず、
あるいはセックスだけに限らず、
組織と個人とか。
自由とお金とか、愛と自由とか。
ひとりひとりが、思考の埃を払って、自分の魂と向き合えばね
そういう人がこれからの時代は増えてく気がする。
にしても、
飲み過ぎた翌日ってなんでこんなに死にたいのかね
もういっそ、記憶が無くなるタイプだったら良かったのに。
1から10まで覚えてるもんだから、
酔っ払った自分の言動の逐一を思い出しては、(羞恥心で)発狂しそうになりながら二日酔いと共に過ごす一日はまあまあな地獄である。