夫の転勤で東京に引っ越し、


好きな人ができた話の続きです。




***



私は彼をとても好きでした。



会うたびに好きになりました。



いままでに出会った誰よりも。



彼と一緒に生きられるのなら、すべてを捨ててもいいと、私はそう思っていました。




ところが、彼にとって私との関係は、



まったく意味の違うものでした。



あまりにも違って、あまりにも軽いものでした。








なぜ彼に私が「ビニ傘男」という名前をつけたのかというと、

 


彼が私をビニール傘のように扱ったからです。


 

よく「ボロ雑巾のように扱われて」って言いますよね?

 

そうじゃなくて、ビニール傘。


 

積極的に雑には扱いません。手元にあれば使います。

 

でも、コンビニに置き忘れても別に平気。

 

ボロ雑巾より意図がない分、過酷です。

 

愛はおろか、1ミリの執着さえ向けられず、

 

ただただどうでもいい存在。。。



人生で一番好きになった男が私に与えたのは、



無関心という名の仕打ちでした。




実際、2月の深夜に土地勘のない場所に放置して帰られたり、



一緒に行った旅行先で一晩中放置されたこともあります。



旅行先で私を放置して彼が何をしていたのかと言うと、


現地のセクシー女優と朝まで遊んでいました。



私は一睡もできず、



でも彼を責めることもできずに、



ただただ冷たいベッドで悲しみに耐えていました。


(今ならブチ切れて一人で帰って音信不通にしますけど!)




こんな生活を1年続けたところでついに私の心は壊れ、



精神科の世話になりました。




夏のことです。



雨の中、精神科に向かう道の途中で、



「いつか絶対に助けてあげるから」



と、自分に言い聞かせた日のことを今でもよく覚えています。



結局、大きなカタルシスに向かうにはこれから5年近い年月を必要としましたが、



あの苦しみの経験は、私がいままで蔑ろにしてきた「私」と向き合うための序章だったのです。




今なら分かるのですが、



彼も彼で、私が与える「好き」という究極の承認を、手元に置いておきたかったのです。



私を置いておきたかったのではなく、



私が捧げる「愛の先行投資」によって自己肯定感が補強されるのが気持ちよくて、



「タダでくれるんならちょうだい」



とばかりに、(街頭でティッシュを貰うように!)私の好意を受け取っていたのです。




「結局、自分で自分を愛するしかない」



という気付きをここでやっと得ましたが、



まだ「自分を愛するためには価値のある人間になる必要がある」



と、必死でhow toを探し回っていました。



(自分を愛することに条件はいらないということが、今はわかります)




自尊心を粉々に砕かれて、

ボロボロになった私の前に、優しく手を差し伸べてくれる男性が現れました。




それが次の恋人です。





《つづく》