夫の転勤で東京に引っ越し、
好きな人ができた話の続きです。
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私は彼をとても好きでした。
会うたびに好きになりました。
いままでに出会った誰よりも。
彼と一緒に生きられるのなら、すべてを捨ててもいいと、私はそう思っていました。
ところが、彼にとって私との関係は、
まったく意味の違うものでした。
あまりにも違って、あまりにも軽いものでした。
なぜ彼に私が「ビニ傘男」という名前をつけたのかというと、
彼が私をビニール傘のように扱ったからです。
よく「ボロ雑巾のように扱われて」って言いますよね?
そうじゃなくて、ビニール傘。
積極的に雑には扱いません。手元にあれば使います。
でも、コンビニに置き忘れても別に平気。
ボロ雑巾より意図がない分、過酷です。
愛はおろか、1ミリの執着さえ向けられず、
ただただどうでもいい存在。。。
人生で一番好きになった男が私に与えたのは、
無関心という名の仕打ちでした。
実際、2月の深夜に土地勘のない場所に放置して帰られたり、
一緒に行った旅行先で一晩中放置されたこともあります。
旅行先で私を放置して彼が何をしていたのかと言うと、
現地のセクシー女優と朝まで遊んでいました。
私は一睡もできず、
でも彼を責めることもできずに、
ただただ冷たいベッドで悲しみに耐えていました。
(今ならブチ切れて一人で帰って音信不通にしますけど!)
こんな生活を1年続けたところでついに私の心は壊れ、
精神科の世話になりました。
夏のことです。
雨の中、精神科に向かう道の途中で、
「いつか絶対に助けてあげるから」
と、自分に言い聞かせた日のことを今でもよく覚えています。
結局、大きなカタルシスに向かうにはこれから5年近い年月を必要としましたが、
あの苦しみの経験は、私がいままで蔑ろにしてきた「私」と向き合うための序章だったのです。
今なら分かるのですが、
彼も彼で、私が与える「好き」という究極の承認を、手元に置いておきたかったのです。
私を置いておきたかったのではなく、
私が捧げる「愛の先行投資」によって自己肯定感が補強されるのが気持ちよくて、
「タダでくれるんならちょうだい」
とばかりに、(街頭でティッシュを貰うように!)私の好意を受け取っていたのです。
「結局、自分で自分を愛するしかない」
という気付きをここでやっと得ましたが、
まだ「自分を愛するためには価値のある人間になる必要がある」
と、必死でhow toを探し回っていました。
(自分を愛することに条件はいらないということが、今はわかります)
自尊心を粉々に砕かれて、
ボロボロになった私の前に、優しく手を差し伸べてくれる男性が現れました。
それが次の恋人です。
《つづく》