はじめまして。

7年ぶりくらいにアメブロで新しいブログを作ったら、色々仕様が変わってて時の流れを感じずにはいられません。


ゆのと申します。

今日は、仕事が終わったあとに、マックポテトとチキンマックナゲットを食べ、
久々のジャンクフードに心が喜んでいます。
罪悪感を持ったら負けだと思ってる。


さて、

恋愛ブログを作りました。

私自身が恋愛ジャンキーとして生きてきたのですが、
その根本には、決定的な自己愛の不足がありました。
子供の頃からすこし変わった子で、
学校でも家庭でも浮いていたので、
誰も私を理解してくれない、世間と相容れない私には価値がない、という絶望とともに少女時代を過ごしました。

「誰も理解してくれない」という絶望は、
「本当は理解されたいし愛されたい」という渇望と表裏一体でした。

そしてその渇望を癒すように恋愛に走りました。

大きなきっかけとなった失恋(=喉から手が出るほど欲しかった愛を得られなかった体験)が引き金となり、
さらに雪だるまのようにあらゆる恋愛体験を引き寄せましたが、
思えばそのどれもが、
私の「渇き」を象徴するかのような過酷な恋愛でした。


そして精神科に通うような痛い恋愛や、毎日精神安定剤を飲んで過ごすような恋愛もいくつか経験して、
最後の最後の駄目押しのような失恋をきっかけに、

「自分を愛する、自分を何があっても幸せにする」
という決意をようやく固めることができました。




自分と向き合う節目のタイミングに、
私自身の経験を人々にシェアして役立てたいと思い、ブログを始めました。

だから、説教する気も、誰かの恋愛をジャッジする気もまったくありません。
すべては自分を知るための学びの場だと思います。


私と同じような自己愛の欠落を抱えているひとたちが、
すこしでも自分を愛せるようになってほしいと願っています。


自己愛が無双モードになれば、人間は最強です。


その自己愛が世界を優しいものに変えるのだと信じています。

ふつうは逆だと思われてますが、

個人が個人の欲を削って奉仕根性で世界が平和に回るというのは、欺瞞だと私は思っています。


「無い袖は振れない」って言いますよね。

あれは、お金のことだけじゃないんです。

愛に関してもそうです。


「自分を愛せない人は人も愛せない」

この言葉の意味を知るには、

愛もエネルギーのひとつであることを理解しなくてはなりません。(これは、私自身が最近得た気づきです)


要は、自分の中にたくさんエネルギーとしての愛を持っていないと、人にも与えられないでしょ?っていう話です。



じゃあ自分を愛するためにどうすればよいかと言うと、

自分をまるごと受け入れて、欲もワガママも受け入れて、自分軸で生きること。

我慢したり、自己犠牲を払って得た「良い人」という評価は、

けっきょくありのままの自分を追い詰めて不幸にするものだと思います。

個人が不幸になれば、世界が不幸になります。


世間全体がギスギスしているのは、個人の「我欲」のせいだと思われています。

自分のことばっかり考えて、人のことを考えられない人たちのせいで、世の中がギスギスしているのだと、そう捉えている人が多いように思います。

でも、それは微妙に違っていて、
欲って人間誰しも欲を持っている(持っていい)のに、
それを抑えすぎるせいでエゴが暴れ出し、
他人に対して不寛容になったり、足を引っ張りたくなるのではないかなぁと、
そんなふうに、私は肌感覚として捉えています。


だから、個人が正しく自分に目を向けて、
自分を構って、あやして、自分をとことん大切にすることで、
人のことも芯から大切にできるようになるのだと信じています。

恋愛というのは、そういうことを身をもって知るための、
大きな道場のような場です。





(偉そうに書きましたが、私もまだまだ実践中の身です)


そして、なんだか壮大な話になってしまいましたが、


3次元的な恋愛のセオリーと、
スピリチュアルな視点を織り交ぜて書いてゆきます。

私に聞いてほしい恋バナがあったら、メッセージからお寄せくださいね!
ブログ上で相談に乗らせていただきます。

友達、あるいは近所のお姉さん的な視点で、
回答したいと思います。


よろしくおねがいしますドキドキドキドキ