屏東・髙樹「大路關石獅公」 | ガイドブックにない台湾を求めて~台湾漫遊日記

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屏東縣高樹郷大路關という客家庄には、「屏東縣無形文化資産」に指定された特別な信仰があり、それにまつわる三体の「石獅公」があります。

三体の大きな石獅子にはそれぞれの由来と物語があり、そして村人たちの多くの言い伝えも残っています。ただ、説が多過ぎるため、今回は「大路關人文工作室」の説明文を元にご紹介したいと思います。

まず初代となる「獅老大」は、落成日時に関する記録がありません。ただ、村人の口述による逆算を行った結果、どうやら1777年に落成したようです。

こちらが「獅老大」、大きさが伝わるでしょうか。

台座が93㎝、石獅子の身長は304㎝あります。知らずに出会うと驚く大きさです。

この大路關の傍を流れる口社渓がしばしば氾濫したため、川からの風水害を除け五穀豊穣を祈願するため、そして首を狩りにやってくる原住民を驚かすために村人が建てたものです。

しかし元々からこの場所にあったわけではありません。

ここから少し離れた場所に置かれたようですが、実はこの「老大」は咸豐七(1857)年に起きた大洪水の際に土中に埋もれてしまうのです。

その洪水は大路關を真っ二つに分けてしまうほどの大きな洪水で、この大きな石獅子さまは流れの強い水の中に倒れ込み、水の流れを旧河道へ導きましたが力尽きてそのまま埋もれてしまったのです。

その後、隣のパイワン族の人が牛のような鳴き声を聞いたと言います。実は地中に埋もれた石獅子さまの泣き声だったそうです。

土中に埋まっていることはわかっていましたが、見つける手段もないまま年月が過ぎ、100年近く経った民國三十九(1950)年に魚の養殖池を建設中の人が偶然この「老大」の頭部に掘り当たりました。しかし掘り起こす手段も無いまま更に34年の年月が流れました。

「大路關人文工作室」によると、民國七十三(1984)年に村の廣福大橋の建設を請け負っていた業者に地中の神様から夢のお告げがあり、「川床の工具を移動させろ」と言われたそうです。そこで半信半疑に工具を別の場所へ動かして間もなく洪水が起きたそうです。夢のお告げにより大きな損失を免れた業者は驚いて、この村の土中には何の神様が埋まっているのかと村人に問うたそうです。土中にある石獅子さまの存在は誰もが知っていたため話すと、ちょうど重機があるので掘り起こしてはどうかという事になり、村人と協議の結果とうとう「老大」は掘り起こされ、元の位置から少し離れた媽祖廟「順天宮」の傍に安置されました。

しかしもう一つ説があり、高雄鳳山から来た風水師・余國源氏が村人との協議の結果掘り出すこととなり、陳振萊氏所有のクレーンで掘り出した、との事です。はっきり人名が出てくるため、こちらが本当なのかとも思いますが、よくわかりません。

 

しかしこちらの「老大」が不在の100年間、やはり村人は信仰の対象を必要としたわけで、それで二代目となる「獅老二」が造られます。

 

「老二」は何とも可哀想な運命を辿ることとなります。

大正七(1918)年に造られた「老二」は、「老大」のように石彫ではなくセメントと石で造られたようで、ご覧の通り風化が激しく見た目にも気の毒です。風化が酷いので現在は屋根により雨から守られています。身長は「老大」よりも大きな326㎝です。

「老二」は霊験あらたかでした。この付近は村同士で水源権争いが絶えず、隣村との関係は良くなかったようです。そんな中、昭和九(1934)年のある日、「老二」の霊力により水害が自分の村に被害を及ぼしたと考えた隣の南勢村の人が「老二」のもとへとやって来て、お尻に鉄の大きな釘を打ち込んだのです。

「老二」は痛み苦しみ、三日三晩泣き叫び続け、怒り狂って南勢村に暴風雨をもたらし、多くの家は倒れて死傷者多数、生き残った者は現在の南勢村へと移住したそうです。

そして「老二」はそれを最後に霊力を失ってしまったそうです。

なので今ある姿は霊的に死んでしまった「老二」なのですが、未だに村人は大切にしています。風化した見た目も、謂れも可哀想な「老二」です。

この「老二」が釘を打たれた年に関しても別の説が存在します。

村人の李丁蘭さんの父親は1912年生まれで、その父が8歳の時に実際に「老二」が釘で打たれるのを見た、との説です。15年もの開きが出てしまいます。これに関してもどちらが正しいのかはわかりません。

いずれにせよ、又しても村を守る石獅子さま不在の期間となります。

そこで、民國五十四(1965)年に順天宮の媽祖様の指示で三代目となる石獅子が造られることとなりました。

三代目はえらく可愛いもので、先の二代とは全く違う風貌です。

身長は293㎝、三体の中では一番小さいのがこの「獅老三」です。

ここへ来て、あるものの存在を彷彿とされた方がいらっしゃるでしょうか。そう、金門島の風獅爺に似ていますよね。

この大路關の石獅公、役割としては全く風獅爺と似たものです。この石獅公のように単独で村を守っている石獅子は台湾では非常に稀なため、独特の無形文化資産として登録されているのです。

近年では2009年8月に起こった「八八水災」に於いても石獅公さまは威力を発揮されたと言われています。洪水により倒れた一軒の民家により水の流れが変わり、村全体は守られたとのことです。

「獅老二」と「獅老三」は、順天宮からは少し離れた「石獅公園」の脇にあります。

その公園にこちらの導覧解説図があります。

石獅公は全て向かって左の廣福村にありますが、橋を渡った廣興村にも見どころが幾つかあります。

こちらへは、屏東駅より屏東客運8226高樹線にて「關福」下車。

「第一尊石獅子」の矢印があります。

バスを降りてすぐ前の道を矢印の方向に進むと見えてきます。

あと二尊は離れた場所にあります。

元のバス停に戻り右折し暫く歩くと、この標識があります。

隣りのバス停「東關福」の近くになります。

バスの本数は多くないので確認しておいてください。

ちなみにこちらが「東關福」の時刻表です。

 

●順天宮

住所:屏東縣高樹鄉廣福村廣福路30號

電話:(08)7957254、7956236