最近、母の介護のことでいろんな方々とお話しをする機会が増えた。

いつかはいのちの営みが終わるときが来るということを分かっていながら、

 

母に寄り添い、看取りの時間を過ごすということは

一見、親孝行ないい娘みたいな感じに見えるけれど、

 

実は私のために母が

いっしょに過ごす時間を与えてくれているように思う。

 

母とわたしの間にはやり残したことがある。

 

そう、

いま介護度4の母を抱っこしているようで、実は母に抱っこされている時間を過ごしている。
 

アロマを習い始めたので、アルガンオイルにラベンダーとローズの精油を混ぜて

病室で手や足にオイルマッサージを施す。

 

精油の量が多すぎて、

部屋中どころか廊下にまで香りが蔓延しすぎて看護婦さんに注意されたりして💦

 

先日入院先の病院から外泊して、自宅で在宅入浴したときの母の様子が

生まれた当初のよっちゃん(娘)のベビーバスでの沐浴での顔と一緒で

 

DNA、おそるべし!

幼いころ里子として出されて、

本当の親に育てられていない母の人生の物語と

わたしの物語は一致している。

この一連の欠乏した過去の出来事や

未消化な感情のエネルギーは世代を超えて伝授するということ。

 

まるで負の財産のように相続する。

 

いまここで、

わたしの人生と母の人生を合わせて

この未消化な感情にフォーカスする。


自分の本当の感情をどれだけ受け取れるか。

 

ひとはいい感情と思えるものは

喜んで受け取れるけれど、

 

嫌な感情、悲しみとか苦しみと思える

苦い感情は感じたくないという思いが強くて、

 

無かったことにされたり(否認)、

感じないように思考で収めたりする防衛機制をする。

 

怒り、悲しみ、落胆…。

言語化されなかった感情が

 

病や症状、人生のテーマとして

持ち上がってくる。
 

あなたと私の

型合わせをして
与えると受け取るのエネルギー循環。

 

 

愛とは

光だけではなく、

陰(かげ)の部分にも同じように存在しているということを

体験させられる。

 

いのちのつながりは

私個人の一生では紐解けない

鏡合わせによって、

 

わたしたちのいのちの壮大なしくみを物語っている。