いつも思うのは、西洋の言語間同士では、比較的簡単に、いくつも使用可能だけど、
”日本語と英語”、という組み合わせは、ちょっと相性が悪くて、
もし、日本語話者が英語を、英語話者が日本語を話そうとする場合、
時間と努力が必要になると思います。
努力というのは、根性を出すというものではなく
効果的で続けられる学習方法や環境をつくりだすという努力です。
最近、ドイツ人ではなく、英語について英語話者に議論をふっかけてます。それでまた色々見えてきました。
ドイツ語は、英語と比べると複雑ですが、構造がしっかりしていて、その分もっとシンプルで論理的です。
両言語に15年以上関わってきて、どっちも同じくらい難しいと感じます。
でも、
英語に関しては、クリエイティブな言語といえます。
つまり、ドイツ語以上に、”現在の、生きた”英語が必要になります。
それはどういうことかというと、
英語は、話さなければならないし、使わなければならないのです。
それは、ドイツ語以上にそうしなければならない言語なのです。
日本語と英語の構造の違い、視点の違い、書き方の違い、発音システムの違い、
まるで違うものを私たちはやっています。
その上で文化も違います。
しかも、日本人は、話さなくてもわかりあえる国民性、完璧なことを用意してから何事もはじめる国民性、
学習を続けるために、こういう国民性までとっぱらわなければなりません。
ただし、効果的に続けられれば、必ず言語は上達します。
一歩を踏み出し続ければいいだけなんです。
才能も何もいりません。ただ、続けることです。
私も、一歩を踏み出せない、出来ない人の気持ちもわかります。
高校生のとき、オーストラリアのおば様に、思いっきりカツを入れられました。
各国から来ていた学生のなかで、明らかに、私(日本人)が一番できませんでした。怠け者の学生と思われてたみたいです。
私は、何も知らずに、オーストラリアにいってしまいました。
だから、自己主張しない国民性、恥の文化、ジェスチャーの違い、何もかも違うままで、そのまま突っ込んだので、すべてがかみあいませんでした。
今は、言語間のことを色々知っているので、
どんどん、らせん状に伸びていくだけです。どんどんエレガントにしていきます。
そして、言語間の橋(通訳・翻訳)も磨いております。
皆さんには、私がしてきた失敗を知ってもらうことで、それらを回避して、
早く外国語を上達してもらいたいと思います。
”日本語と英語”、という組み合わせは、ちょっと相性が悪くて、
もし、日本語話者が英語を、英語話者が日本語を話そうとする場合、
時間と努力が必要になると思います。
努力というのは、根性を出すというものではなく
効果的で続けられる学習方法や環境をつくりだすという努力です。
最近、ドイツ人ではなく、英語について英語話者に議論をふっかけてます。それでまた色々見えてきました。
ドイツ語は、英語と比べると複雑ですが、構造がしっかりしていて、その分もっとシンプルで論理的です。
両言語に15年以上関わってきて、どっちも同じくらい難しいと感じます。
でも、
英語に関しては、クリエイティブな言語といえます。
つまり、ドイツ語以上に、”現在の、生きた”英語が必要になります。
それはどういうことかというと、
英語は、話さなければならないし、使わなければならないのです。
それは、ドイツ語以上にそうしなければならない言語なのです。
日本語と英語の構造の違い、視点の違い、書き方の違い、発音システムの違い、
まるで違うものを私たちはやっています。
その上で文化も違います。
しかも、日本人は、話さなくてもわかりあえる国民性、完璧なことを用意してから何事もはじめる国民性、
学習を続けるために、こういう国民性までとっぱらわなければなりません。
ただし、効果的に続けられれば、必ず言語は上達します。
一歩を踏み出し続ければいいだけなんです。
才能も何もいりません。ただ、続けることです。
私も、一歩を踏み出せない、出来ない人の気持ちもわかります。
高校生のとき、オーストラリアのおば様に、思いっきりカツを入れられました。
各国から来ていた学生のなかで、明らかに、私(日本人)が一番できませんでした。怠け者の学生と思われてたみたいです。
私は、何も知らずに、オーストラリアにいってしまいました。
だから、自己主張しない国民性、恥の文化、ジェスチャーの違い、何もかも違うままで、そのまま突っ込んだので、すべてがかみあいませんでした。
今は、言語間のことを色々知っているので、
どんどん、らせん状に伸びていくだけです。どんどんエレガントにしていきます。
そして、言語間の橋(通訳・翻訳)も磨いております。
皆さんには、私がしてきた失敗を知ってもらうことで、それらを回避して、
早く外国語を上達してもらいたいと思います。