私の母は、ちょっとアレなんで、母の人生感をコピーしてしまった私の精神もグラグラでした。
私は、かなり深刻に人生をとらえ、常に完璧を目指そうとしていました。
他人の言動にも、あっちこっち振り回され、愛されたいと思ってました。
語学が私の領域ですが、語学には完璧はありえません。完璧だと認識できる頃には、母語話者と同じレベルになっているはずです。
だから私は、学習過程を愛することはできずに、いつも苦しかったのです。
英語やドイツ語は、ほとんど毎日学習し、留学も何度もして、長い年月がたちましたが、未だに出きない自分にガッカリします。
いつも、その時点の自分の能力を無視して、限界マックスの目標をたてては、挫折感を味わってきました。
無理なんですよ。無謀だったんですよ。
完璧なんてあり得ないんですよ。 (´・ω・`)
じゃあ、だからといって、成長しないわけはありません。
続けさえすれば、亀のごとし、色々忘れながらも、英語もドイツ語もかなり上達しました。
英語圏やドイツ語圏で生活できます。友人数や楽しみは日本語圏の半分かもしれないし、大学の授業はきつく感じますが、読書は楽しいし、ペチャクチャおしゃべりも楽しいです。
だけど、成長していくほど、自分の間違いや、わからないことがはっきりするぶん、自分はますます出来ないと感じてきました。
で、他人から、バカにされたり、比較されたりすると、大きく自己嫌悪して、毎日の努力を辞めてしまうのです。
辞めて→はじめて→辞めて→はじめて…
を繰り返し、なんとも非効率なリズムを繰り返します。
今、私は、「出来ないような出来るような」そういう気持ちをはっきり言います。
出きないことや苦手なことを伝えたうえで、私から教わりたい人や助けが欲しい人には喜んで手をかします。
私にばかり外国語で発言させて、重箱の隅をつつかれ、バカにされたりすると、カッとなり、出来る自分を証明したくなります。しかし、最近、相手が意識的か無意識かわからないけど、そういう場合、相手の自信のなさを、私に投影しているような気がして、無駄なエネルギーを使わなくなりました。
大事なことは、続ける努力です。
周りから煽られて意地になったり、完璧になりたくて、できもしない計画を立てても仕方ありません。
最近、日本語サポートもはじめたし、論文を書くためにドイツ語の時間も増え、仕事もあります。
だから意識的な英語の学習時間の確保が必要でした。
1日交代で、難解単語用と、発音をエレガントにするため用に3冊使ってましたが、
なんと!気がついたらやらなくなってました。だから、2冊に変更しました。
昔のグラグラな私だったら、無理やり3冊のままで、進行して、結局何もしないまま、自己嫌悪しながら、1年も2年も過ぎたと思います。
昔の心境は、
「私の語学力は破壊的にダメだ。だって、みんなにもバカにされる。完璧になるためには、数年間毎日、アレとコレとアレとアレをやらなきゃ間に合わない。仕事もなくなってしまう。早く完璧にならなきゃならない。」
今
「私の語学力はたいしたことないし、まだまだ満足してない。伝えきれないこともあるし、スラスラ読めない洋書がまだまだ沢山あるし、語学を人にも教えてる。
しかし、私の出来ることと、すぐに成長できることは限界がある。 」
計画が頓挫した場合!
昔の場合、
「やらなきゃならない。やらなきゃならない。一ページでもみなきゃ。… 私は、ダメだ。未来も絶望的だ。」=実際には何もやってない。
今
「あれ、ちゃんとやれてない。なんか苦痛。やっぱり15分とはいえ、3冊はダメか (笑) 一冊捨てよう。」=残りの一冊は毎日できる日と、全くやらない日々がありながら、淡々と続く。もう一冊は、たった15分なら、と毎日重い腰があがる。
意識の変化は、全ての領域に浸透します。
筋トレは、使いやすい筋トレマシーンとダンベルを買ったことで、毎日少しでも続けられてます。
また、オーラルケアは、定期的に歯医者にお掃除しにいき、歯ブラシや糸ようじを沢山点在させることで、いつも綺麗を保てるようになりました。
翻訳や研究時間を快適にするための努力も惜しみません。
他にもキリがありません。
続けるためには、完璧主義を捨てること、バカにされても挑発に乗らないこと、
頓挫したら、自己嫌悪はいらないから、計画の一部を捨てること、
続けられる工夫をすること。
グッズにこだわったりね。 ( ・∇・)
私は、かなり深刻に人生をとらえ、常に完璧を目指そうとしていました。
他人の言動にも、あっちこっち振り回され、愛されたいと思ってました。
語学が私の領域ですが、語学には完璧はありえません。完璧だと認識できる頃には、母語話者と同じレベルになっているはずです。
だから私は、学習過程を愛することはできずに、いつも苦しかったのです。
英語やドイツ語は、ほとんど毎日学習し、留学も何度もして、長い年月がたちましたが、未だに出きない自分にガッカリします。
いつも、その時点の自分の能力を無視して、限界マックスの目標をたてては、挫折感を味わってきました。
無理なんですよ。無謀だったんですよ。
完璧なんてあり得ないんですよ。 (´・ω・`)
じゃあ、だからといって、成長しないわけはありません。
続けさえすれば、亀のごとし、色々忘れながらも、英語もドイツ語もかなり上達しました。
英語圏やドイツ語圏で生活できます。友人数や楽しみは日本語圏の半分かもしれないし、大学の授業はきつく感じますが、読書は楽しいし、ペチャクチャおしゃべりも楽しいです。
だけど、成長していくほど、自分の間違いや、わからないことがはっきりするぶん、自分はますます出来ないと感じてきました。
で、他人から、バカにされたり、比較されたりすると、大きく自己嫌悪して、毎日の努力を辞めてしまうのです。
辞めて→はじめて→辞めて→はじめて…
を繰り返し、なんとも非効率なリズムを繰り返します。
今、私は、「出来ないような出来るような」そういう気持ちをはっきり言います。
出きないことや苦手なことを伝えたうえで、私から教わりたい人や助けが欲しい人には喜んで手をかします。
私にばかり外国語で発言させて、重箱の隅をつつかれ、バカにされたりすると、カッとなり、出来る自分を証明したくなります。しかし、最近、相手が意識的か無意識かわからないけど、そういう場合、相手の自信のなさを、私に投影しているような気がして、無駄なエネルギーを使わなくなりました。
大事なことは、続ける努力です。
周りから煽られて意地になったり、完璧になりたくて、できもしない計画を立てても仕方ありません。
最近、日本語サポートもはじめたし、論文を書くためにドイツ語の時間も増え、仕事もあります。
だから意識的な英語の学習時間の確保が必要でした。
1日交代で、難解単語用と、発音をエレガントにするため用に3冊使ってましたが、
なんと!気がついたらやらなくなってました。だから、2冊に変更しました。
昔のグラグラな私だったら、無理やり3冊のままで、進行して、結局何もしないまま、自己嫌悪しながら、1年も2年も過ぎたと思います。
昔の心境は、
「私の語学力は破壊的にダメだ。だって、みんなにもバカにされる。完璧になるためには、数年間毎日、アレとコレとアレとアレをやらなきゃ間に合わない。仕事もなくなってしまう。早く完璧にならなきゃならない。」
今
「私の語学力はたいしたことないし、まだまだ満足してない。伝えきれないこともあるし、スラスラ読めない洋書がまだまだ沢山あるし、語学を人にも教えてる。
しかし、私の出来ることと、すぐに成長できることは限界がある。 」
計画が頓挫した場合!
昔の場合、
「やらなきゃならない。やらなきゃならない。一ページでもみなきゃ。… 私は、ダメだ。未来も絶望的だ。」=実際には何もやってない。
今
「あれ、ちゃんとやれてない。なんか苦痛。やっぱり15分とはいえ、3冊はダメか (笑) 一冊捨てよう。」=残りの一冊は毎日できる日と、全くやらない日々がありながら、淡々と続く。もう一冊は、たった15分なら、と毎日重い腰があがる。
意識の変化は、全ての領域に浸透します。
筋トレは、使いやすい筋トレマシーンとダンベルを買ったことで、毎日少しでも続けられてます。
また、オーラルケアは、定期的に歯医者にお掃除しにいき、歯ブラシや糸ようじを沢山点在させることで、いつも綺麗を保てるようになりました。
翻訳や研究時間を快適にするための努力も惜しみません。
他にもキリがありません。
続けるためには、完璧主義を捨てること、バカにされても挑発に乗らないこと、
頓挫したら、自己嫌悪はいらないから、計画の一部を捨てること、
続けられる工夫をすること。
グッズにこだわったりね。 ( ・∇・)