ゲーテがとらえた構造、シンボル、そしてその動きがあります。
それをさらに深く観察したのがシュタイナーです。
シュタイナー関係の着ぐるみを飾っていても、全くシュタイナー・ゲーテ的でない人の行動、それに対し、表面では、全くシュタイナーのカラーが一つもないのに、シュタイナー的な行為、
これらも、シンボルの謎や動きによって、理解できます。
とにかく、私たちが意識的に真実として捉えられるのは、構造やシンボルまで。
そして、他人が他人を一切、外から理解させることはできない。「ほんとうのこと」には、それぞれ、個人が至るしかない。できるのは、そこへ至れるように、視点をずらしたり、工夫するだけ。
だから、「私は、あなたより知ってる」「あなたはダメ人間だから、変えてあげる」という場所を基点にしたものは、インチキ。
では、「ほんとうのこと」に至れる工夫は、色々あります。歴史上の偉人が態度や創造物で示してくれるから、わかりやすいです。
ゲーテ-シュタイナーは、この、構造の学、シンボル方法を基点にして、実際に、自然からのささやきを基に文学に走ったのはゲーテ。
色や形などにその秘密を開示してもらったのは、シュタイナーです。
ゲーテは、文学に才と情熱があり、シュタイナーは、芸術教育に才がありました。
シュタイナーやゲーテの残した創造物は、本当にパワフルで、使えます。しかし、それらを使って、他人を外から押さえつけたら、本末転倒です。
ゲーテは文学の人ですので、 その問題はあまり見えません。しかし、シュタイナーはかなり身近なものを彼の領域にしたため、
そういう問題が起こります。
シュタイナーの恵みをどう使ったって、よいはずです。しかし、それらを他人におしつけてはならないし、それぞれが、"ノー"を堂々とつきつける権利はあります。
シンボルとその動きは、
とにかく、 パワフルで、誤解をもたらしにくいです。
これが派生し、シュタイナー的なものが、オイリュトミーだったり、フォルメンだったりします。
オイリュトミー、フォルメン自体はかなり素晴らしいです。
(例えば、ユングの場合は、曼陀羅に。薔薇十字のシンボル方法として残されたシンボルはいっぱいあります。)
問題は、日本ではシュタイナー関係が、バカ高かったり、教えてくれる人がすくないこと。
だから、変な先生がいても、他の選択師がありません。
「オイリュトミー以外は、ダメ」だとか、「オイリュトミーを広めるために、あなたも参加して」、と自分の思想で押さえつけようとした先生からは、離れました。
実際、今は不景気なわけで、シュタイナーが作ったカリキュラムを受けるのに、とんでもない金を払ってまで、やる必要性を感じません。金に余裕があるならやってもいいけど、ないなら、家財を圧迫して家族を苦しめるまで、いらないでしょう。
運営面で仕方ないのはわかりますが、矛盾を感じます。
私は、だったら、いらないんです。(もちろん、出来るときにはやりますし、やってます。) 私は、そういうところで無駄をしないかわりに、余裕を作って、ボランティアで勉強を教える枠を作っています。また、不登校の社会復帰支援にも、タダで、かなり時間を削っています。私がシュタイナーから教わったのは、そういう態度だからです。
まだまだ世の中は、平等になってないんです。平等に権利はみんなにあるのに。
だから、余裕を作って、還元することのほうが、シュタイナーに寄り添ってる気持ちになります。
それより、色や形や自然は、そこにあり、ゲーテ-シュタイナーの資料は、タダでみられます。
あとは、構造やシンボル方法を見つけてしまえば、自分で、つかむしかないんです。それしかないんだから。これこそが、ゲーテ-シュタイナー的なことなんだから。
だから、私は、このポイントを研究し、シェアしていきたい、と思ってます。
シュタイナーは、語学も、生命あるものとみていて、語学教育も、この構造、シンボルが、飛躍的語学上達の鍵になります。
しかしながら、たしかに、オイリュトミーやフォルメンがかなり、力になってるのは事実です。
だから、是非試して欲しいです。
しかし、絶対ではないので、先生の考え押し付けに苦しんだら、距離を取ったっていいと思います。
それをさらに深く観察したのがシュタイナーです。
シュタイナー関係の着ぐるみを飾っていても、全くシュタイナー・ゲーテ的でない人の行動、それに対し、表面では、全くシュタイナーのカラーが一つもないのに、シュタイナー的な行為、
これらも、シンボルの謎や動きによって、理解できます。
とにかく、私たちが意識的に真実として捉えられるのは、構造やシンボルまで。
そして、他人が他人を一切、外から理解させることはできない。「ほんとうのこと」には、それぞれ、個人が至るしかない。できるのは、そこへ至れるように、視点をずらしたり、工夫するだけ。
だから、「私は、あなたより知ってる」「あなたはダメ人間だから、変えてあげる」という場所を基点にしたものは、インチキ。
では、「ほんとうのこと」に至れる工夫は、色々あります。歴史上の偉人が態度や創造物で示してくれるから、わかりやすいです。
ゲーテ-シュタイナーは、この、構造の学、シンボル方法を基点にして、実際に、自然からのささやきを基に文学に走ったのはゲーテ。
色や形などにその秘密を開示してもらったのは、シュタイナーです。
ゲーテは、文学に才と情熱があり、シュタイナーは、芸術教育に才がありました。
シュタイナーやゲーテの残した創造物は、本当にパワフルで、使えます。しかし、それらを使って、他人を外から押さえつけたら、本末転倒です。
ゲーテは文学の人ですので、 その問題はあまり見えません。しかし、シュタイナーはかなり身近なものを彼の領域にしたため、
そういう問題が起こります。
シュタイナーの恵みをどう使ったって、よいはずです。しかし、それらを他人におしつけてはならないし、それぞれが、"ノー"を堂々とつきつける権利はあります。
シンボルとその動きは、
とにかく、 パワフルで、誤解をもたらしにくいです。
これが派生し、シュタイナー的なものが、オイリュトミーだったり、フォルメンだったりします。
オイリュトミー、フォルメン自体はかなり素晴らしいです。
(例えば、ユングの場合は、曼陀羅に。薔薇十字のシンボル方法として残されたシンボルはいっぱいあります。)
問題は、日本ではシュタイナー関係が、バカ高かったり、教えてくれる人がすくないこと。
だから、変な先生がいても、他の選択師がありません。
「オイリュトミー以外は、ダメ」だとか、「オイリュトミーを広めるために、あなたも参加して」、と自分の思想で押さえつけようとした先生からは、離れました。
実際、今は不景気なわけで、シュタイナーが作ったカリキュラムを受けるのに、とんでもない金を払ってまで、やる必要性を感じません。金に余裕があるならやってもいいけど、ないなら、家財を圧迫して家族を苦しめるまで、いらないでしょう。
運営面で仕方ないのはわかりますが、矛盾を感じます。
私は、だったら、いらないんです。(もちろん、出来るときにはやりますし、やってます。) 私は、そういうところで無駄をしないかわりに、余裕を作って、ボランティアで勉強を教える枠を作っています。また、不登校の社会復帰支援にも、タダで、かなり時間を削っています。私がシュタイナーから教わったのは、そういう態度だからです。
まだまだ世の中は、平等になってないんです。平等に権利はみんなにあるのに。
だから、余裕を作って、還元することのほうが、シュタイナーに寄り添ってる気持ちになります。
それより、色や形や自然は、そこにあり、ゲーテ-シュタイナーの資料は、タダでみられます。
あとは、構造やシンボル方法を見つけてしまえば、自分で、つかむしかないんです。それしかないんだから。これこそが、ゲーテ-シュタイナー的なことなんだから。
だから、私は、このポイントを研究し、シェアしていきたい、と思ってます。
シュタイナーは、語学も、生命あるものとみていて、語学教育も、この構造、シンボルが、飛躍的語学上達の鍵になります。
しかしながら、たしかに、オイリュトミーやフォルメンがかなり、力になってるのは事実です。
だから、是非試して欲しいです。
しかし、絶対ではないので、先生の考え押し付けに苦しんだら、距離を取ったっていいと思います。