思考の働きが、だんだん明らかになってきました。今年の論文執筆は、かなりやる気で、楽しみにしています。
なぜなら、思考の内容に"書いてもらう"からです。ぼやっとした可能性は見えてますが、まだ出来上がりまでわかんないんです。もちろん、私の手足と、悟性と理性の力などが活躍します。  
ちなみに、悟性ってよくわかんないでしょう?ちょっとわかりやしくしてみます。
そのドイツ語・Verstand って「理解する力」みたいなものです。理解すること。例えば、つまり、個々に細かく分析していくことです。 (もちろん、これも便宜上の一つの意味付けの一側面です。)


ぼやっとした五感から入ってきた感覚の情報(知覚)に対して、思考の力で、次のことをします。
まずは、悟性の力で、バラバラに分析します。一つ一つ丁寧に理解していきます。

しかし、感情は、そのバラバラな情報が
ある統一性を持っていることを予感します。

だけど、その情報に統一性を持たせるのは、理性の力です。  

理性が、真実へと向かうために、力を添えてくれます。  

しかし、真実へ向かう力はそもそも思考にあります。
感覚世界が外側から与えるものと、同時に内から与えられる思考内容そのものに力はあります。しかし、そのお互いを結びつけるのは、私たちの精神です。
目が太陽をみるように、耳が音を聞くように、精神が、バラバラだった様々な現象から、統一性を導きます。



とにかく、思考は力強く、感情は、いつもパワフルだと思わされます。
感情、フィーリングはナビゲーターです。なぜなら、悟性のバラバラ分析力とは関係ないから、そのまま個々の現象の生き生きとした統一性をダイレクトに直感するからです。

しかし、感情だけでは、何もできません。私たちは、社会に生きています。そしたら、やはり、思考と手足を使って、まずは一つ一つの現象をしっかり個々に分析して、それらに、感覚からの情報では見えなかった統一性を導きだしたり、統合することで、何かを発見したり作り出したり創造的に生きていくのがよろしいかと、思わずにはいられません。  

だから、私たちに、感情、悟性、理性、など沢山の能力を与えられているんです。

しかし、やはり、感情はなかなか信頼できるナビゲーターです。  
本当に、心が、人生の足場になるんですよね。




手足を  
心でつないで、
生きる


これぞ、シュタイナー思想の真髄!