「思考は中身が空っぽの器ではありません。思考それ自身が、純粋に、内容がつまったものなのです。しかも、この内容が、他に出現する形式の内容と、重なったり同じだったりはしないのです。これが明らかになったのは、(私の論考で)お分かりになったと思います。」    



つまり、感覚的に受け取ったものが、そもそも最終的なものでも、完結したものでもなく、精神による何らかの補完が必要であることを前提にするならば、
次のことがいえます。

学問は、感覚的に知覚した現実を、思考で把握して形成された概念に染めていくものです。
学問は、単に受動的に受け入れたことを、精神によって単にあり得るというぼんやりした暗闇から、現実の光に向かって引き上げることで、補完したり、深めたりします。

(`・ω・´) シュタイナー  
コメント) 思考も、学問も、素晴らしい。
たしかに、使い方は間違いやすいかもしれないですが…

GA2より 訳 オレンジスイート  


※。.:*:・'°☆∠※。.:*:・'°☆

今の私の課題は、シュタイナーが力強く使っていた"思考の力"だと思います。

先日、ようやく、シュタイナーがゲーテから継承した、あの観察眼(構造)に、一つの決着ができました。
といっても、まだ、はっきりしたわけではないため、論文にまとめる形で、深めることに決めました。  
しかしながら、私が垣間見た構造のおかげで、先にすすむことができました。

思考、感情、意志の内的なプロセスは、次の課題としてみえていますし、人智学理解の骨組みになります。  


しかしながら、魂や宗教、社会観なども含め、シュタイナー思想全体をまったくやらないわけではなく、常に、シュタイナー思想の全体は、意識しています。

というのも、この態度そのものがが、ゲーテ-シュタイナーの構造そのものだからです。