長くシュタイナーをされてる方に、私が批判されやすいのは、なんとなくわかります。

私の学歴や趣味をみて、思考ばかりして空論を展開するガチガチの書物バカにみえるかもしれません。そのようにジャジされ、シュタイナーを読むのをやめるように言われます。  
たしかに、思考だけで、結論を出すのは
よくないです。しかし、言われなくてもわかります。

しかし、間違っているのは、ここで、そういう人こそ、少ない経験から得た知識で、思考を使って私をジャジする、という、シュタイナーやゲーテが嫌うことをやってます。


普段、私は、ぼーっとしてます。ひたすら猫をおさわりしています。庭にでれば、沢山の自然、もっと外に出ても自然。
それは、何十年も続けられています。
自然の構造、かおり、強烈な光や闇、その感覚から、ドイツ文学、ゲーテにひかれました。つまり、時間としては、ぼーっとしてる方が長いんです。
シュタイナーをドイツ語で読む禁止令がでたとき、私は、ほとんどがぼーっとしてしまい、ゆるみっぱなしで、死んだようになってしまいました。

しかしながら、文学って、かなり、感覚的なものです。つまり、かなり現実的なものです。ゲーテが詩と科学がわかちがたく結びついてる、というのもよくわかるような気がします。  

いつも、たんたんと生きています。
ただ、追いかけてきた香りや構造の先に、毎日のゲーテやシュタイナーたちと向き合い、積み重なった結果、今の学歴や生活があるだけです。

だから、私をちゃんと、みてほしかった。ジャジする前に、話をきいてほしかったんです。 とても、残念です。

しかし、対象(この場合私)に、答えを持っている人ほど、恐ろしいものはありませんでした。

だって、どうにかして、私を頭でっかちにしたいのです。
答えはあります。そこに持っていかれます。
そして、批判されますし、アドバイスされますが、全部、的がはずれてました。

「シュタイナーはやめてはなりません。あなたの辛い人生に必要になります。 」

私;シュタイナーを止めるなんて一言も言ってません。そもそも、人生辛くなるなんて決めつけて、ひどい。


「子供たちに教えるのは、素晴らしいものでしょう?!私は、素晴らしいと思うわよ!。やめるなんて… 」

私;やめるとはいってないし、私も教えるのは大好きです。素晴らしいと思います。
素晴らしくないなんて、言ってません。

「ドイツ語学や文学は、あまりよくないです。 」


私;それこそが、偏見だと思いますが…  

「ドイツ語を分析するなんて、思考を使ってるやるもの!細かすぎて、頭でっかちにやってる。シュタイナーの水彩画やオイリュトミー、シュタイナーをやりましょうよ。 」

私;だから、シュタイナーはやりますし、絵も書きますし、フォルメンもオイリュトミーもとりあえず独自で続けます。(先生は選びます。)
しかし、ドイツ語学や文学にも、色々形式はあります。 (なんか、疲れてきた) (ドイツ語をガチガチにやるなんていってないし、思考や頭だけで、語学を習得できるほど、甘くありません。)
もーいいや (笑)


以下略

頭がおかしくなりそうでした。  
(´・ω・`)


これこそ、思考をこねくりまわして、本当のところから、離れた机上の空論。

しかも、こんなに、話が噛み合わないのも、初めてで、
それが、シュタイナー関係という皮肉つき。


しかし、気がつきました。
相手の代わりに答えを出すという傲慢さ。
答えは、相手自身が導きだします。  あるいは、彼方からやってきます。


人にアドバイスできる、という傲慢さ、これは絶対に必要ないものです。  
私は、どれだけ相手を知ってるというのでしょう。




私は、これから、この点をさらに肝に銘じたいと思います。