私にとって、シュタイナーの思想やゲーテの思想は、生命のようなものを感じます。

その漠然と感じた感覚を、ずっと調べています。

私の調べ方は、
全体にむかい、そして、部分にむかいます。
このリズムのまま、ずっと、ずっとみてみきました。
ドイツ語ができるようになってから、ぐんと、幅が広がりました。

シュタイナーと、ゲーテの思想が好きなのは、思想が、自然の在り方そのもので、この収縮と拡散のリズムは、小さな頃、大自然が教えてくれたものです。  
また、ゲーテやシュタイナーも教えてくれます。

だから、私が彼らに接するときは、自然に、収縮と拡散、全体から部分へむかうのだと思います。  

このリズムは、無理にやる気をおこさせるものではなくて、自然に優しく穏やかに続けられるものです。

私の勉強生活も、語学も、ドイツ語も、ドイツ思想も同じです。  


シュタイナーの文献を整理していると、わかります。

シュタイナーの部分的な個々のテーマや発言には、全体が含まれ、全体をみれば、個々のはっきりしたいくつものテーマがあります。  

小さな頃、病弱で、私は意識のなかで、遊ぶしかありせんでした。外にいるのは、大自然と動物たち。
魔王という素晴らしい作品として、ゲーテがやってきて、ドイツ語と出会わせてくれました。 あれから、20年近くたちました。
まだ、私のなかだけで、シュタイナーやゲーテがやっと、その全容をみせてくれるようになり、少しずつ、断片的に説明できるようになったばかりです。  
私には、絶対にゲーテやシュタイナーを語るのは無理だと思っていました。
だから、 ワイマール文化研究をしていました。修士号は、ワイマール時代の現象で、とりましました。

いよいよゲーテ・シュタイナーで、論文が一本でそうなんです。毎年、出したい気持ちはあるけど、お腹にエネルギーがありませんでした。

周りからは、引きこもりだ、落第者だ、と散々言われましたから、焦りました。

だけど、今年は、お腹にエネルギーがあります。

ゲーテやシュタイナーは、いつも、安易な判断に対する警笛をならします。対象に語らせるのを待つんです。

しかし、現代社会は、決して待ってくれません。結果や目に見えるものを急がせます。
私にも、同じです。
私の周りからの評価は、まったくひどいものです。博士課程を満期修了しながら、それをまったく生かしていません。
英語や5教科を教えてます。つまり、中高時代に頑張った自分に食べさせてもらってます。

プライドは、とっくに捨てました。捨てなければ、本当に、本当の自分には、たどりつけません。

逆に、私は、出会う人に、何の結果がなくても、信頼できます。待てます。
待つ努力ができます。  

そして、私は幸せです。呼吸するみたいに
努力ができるからです。
自分のぴったりの取り組み、そして、生命のある課題だからです。結果がなく、周りから言われても、どこふく風。それは、取り組むだけで、幸せだからです。

シュタイナーは、本当に素晴らしい思想家です。また、シェアします。