私たちが潜在的に目指しているのは、それぞれの意見を超えた真実性ですよね。普遍的なもの。
それぞれの頑なな意見は衝突するのみですだからです。

真実を知る。
それが出来るかどうかは別として、
(私たちは真実に到達するのは不可能で、近づくことしか出来ない、といわれる場合があります。)
古今東西の哲学者や学者たちがそこへむかったわかです。
シュタイナーも同じです。
というか、まさにそういう言葉が講演録に残っています。

しかし、実に難しい。
もし、真実を探そうとすると、まずは、さまざまな意見が出てくる。
どんどん真実から遠ざかる。

シュタイナーに長年取り組んでいる方が、上から目線で、私のような新参者を批判し、シュタイナー以外のものを排除にかかっている態度は、これとは間逆の方向に進んでいる気がします。
もちろん、私のこれも意見です。
でも、シュタイナーに取り掛かる人のそのような態度も、やはり意見なんです。


それでは、まず最初に重要なことを紹介しましょう。
シュタイナー自身が、まず最初に、真実性を得るために必要な事柄に言及してくれました。

シュタイナーは最初に、写真に写った木について語りました。
素晴らしい木をみました。それを写真に収めました。
それを誰かにみせたとして、それは、本当に真実でしょうか?
・・・違いますよね。
というわけです。

では、4方向から写真を収めればいいのか?
それも違いますよね。

つまり、写真の木と同じように、自分自身も自分の立ち位置からぬけなければならないのです!
意見というのは、自分の立場を持っているときに出てくるものです。
そして、そのようにしている限り、真実には遠ざかるばかりです。

※そして、また別の機会に紹介しますが、こうして自分の位置を越えて、自分の立場から去ることで、「他の人と自分の違い」、つまり、「かけがえのなさ」を知ることもできます。これはまた別の機会に改めて記事にします。


そうすると、シュタイナーに取り組む方からは、また失笑されそうですが、
バイロンケイティのワークは、まさにそのことに取り組んでるから、すごいんです。
彼女は自分の立ち位置をもちません。対話のなかで、必ず対話者に語らせます。
そして、ワークは、まさに、自分の凝り固まった思考を、あらゆる方向から取り直すことなんです。
まさに、立ち位置をどんどん変えていきます。

最後には、どの思考も本当かどうかわからなくなり、
平安がおとずれます。

バイロンケイティは、まったくシュタイナーを知らないと予想しますが、シュタイナーを良く知っている人よりも、シュタイナーの語る中身を実践しているんです。

私は、シュタイナーの見た世界にたどりつきたいんです。シュタイナーに取り組む人の目ではありません。だから、私は誰も特定の人の思想を持ちません。なぜ、私が誰か特定の人の意見に左右されねばならないのでしょう。みな、それぞれ、それぞれの意見を言って、その意見は私のなかで衝突します。どちらかに従わないと、それぞれに批判されます。
それって、本当に真実なんでしょうか?
わたしにとってバイロンケイティのほうがよっぽど真実に近いと思っています。
私はシュタイナーが必要ですが、別に、勝手に私の師匠になって意見をべたべた張っていく人を必要としません。たとえ、私が間違っていたとしても必要としません。
自然がいつもベストタイミングで用意してくれるものだからです。


シュタイナーをちゃんと理解したいんです。
そして、最後にシュタイナーの目線のはしごをおろしたいんです。



参考:Die Mission der Wahrheit, R Steiner