シュタイナーの良さは、すごくよくわかります。でも、シュタイナーが嫌になるくらい、すすめられたり、私のすべてを批判されて、嫌になる経験をしました。
それで、この件について考えてみました。
私は、シュタイナーのほかに、多くのドイツ思想家、マーフィーも、ユングも、アドラーも大好きです。
ちなみに、日本文化が嫌いなわけでなくて、否定するわけでなくて、単なる好みの問題です。
しかし、「シュタイナーこそが素晴らしく、ユングやアドラーは浅い」、と言われた時は、カチンときましたし、 「ユングを調べるのはやめて、シュタイナーに取り組むべきだ」、とアドバイスされて、心は反発しました。
また、「水彩画やオイリュトミーこそが大事で、他は、◯◯な点がだめだ」、という話にも反発心がわきました。
ちなみに、私は、オイリュトミーや水彩画が好きです。しかし、そういう考えの人たのもとではやりたくないんです。
参加率が悪くなったら、「私のエゴが強く、仲間と打ち解けられない、勉強しすぎでひきこもってる。」、というような批判がきこえるようになりました。
ただ、私は、不登校生や、中間一貫校から公立の受験サポートで忙しくなり、物理的に行けなくなっただけです。
とにかく、学歴がある人や学者をひっくるめて、頭デッカチだと勝手に推測しているんです。
そんなこと、全然ないです。
なかには確かに変な人もいますが、よっぽど、立派な人やバランスがとれた人も沢山います。
とにかく、私はジャッジされ、心に侵入され、変えようとされました。
私自身、変えたい気持ちはあります。成長したいし、シュタイナーのことをもっと良く知りたい。
しかし、ジャッジされたり、心に侵入されると、沸いてくるのは、怒りや反発心です。 そして、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、という気持ちでした。
私は、勇気を持って、その人たちから離れることにしました。私は、「変わる気持ちがないダメ人間だ」と、今も言われているでしょう。
で、考えてみたんです。私は、大自然のなかで育ちました。自然は、沢山与えてくれて、色々なことを教えてくれました。
でも、決して、私の心を踏みにじったり、ジャッジすることはありません。それでも私に変える力を与えてくれました。
病気も同じです。病気は、強さと忍耐力、感謝の気持ちをくれました。
書物は、沢山の知識と勇気を与えてくれました。シュタイナーも同じです。
独文を学んだ10年間、 先生方は、忍耐強く私を見守ってくれました。本当に成長できました。
今も、そうです。
私の心が踏みにじられた、と感じたことはありませんでした。
だから、シュタイナーをされてるかたから、ドイツ語学や文学を単なる頭デッカチのものと見られたり、くだらないものと、ジャッジされたとき、
私は、もう二度と、その人たちのもとには戻れないと思いました。
私は、シュタイナーを続けますが、シュタイナーを学ぶ人は選びたいと思います。
だから、そんな人に出会えるように、私自身も変わりたいです。
私は、間違ってるかもしれません。間違いながら、真摯に、一歩一歩進んでいきます。今回、人間関係に疑問を感じましたが、シュタイナー、水彩画、オイリュトミー、フォルメンは大変素晴らしいものだとわかりました。また、一部のシュタイナーに取り組む方から否定されるかもしれませんが、ヨガもユングの曼陀羅も同じくらい素晴らしいと感じました。 また、一歩前進したわけで、また懲りずに歩き続けます。
本当に間違いだらけ、こけてばかりですが、自分に嘘はつかずに、シュタイナーに限らず、全ての物事に敬意を払って生きていきたいです。
自然なものに、守られながら。自然なものには、エナジーがあります。生命力があります。私は、元気と勇気をもらえます。
それで、この件について考えてみました。
私は、シュタイナーのほかに、多くのドイツ思想家、マーフィーも、ユングも、アドラーも大好きです。
ちなみに、日本文化が嫌いなわけでなくて、否定するわけでなくて、単なる好みの問題です。
しかし、「シュタイナーこそが素晴らしく、ユングやアドラーは浅い」、と言われた時は、カチンときましたし、 「ユングを調べるのはやめて、シュタイナーに取り組むべきだ」、とアドバイスされて、心は反発しました。
また、「水彩画やオイリュトミーこそが大事で、他は、◯◯な点がだめだ」、という話にも反発心がわきました。
ちなみに、私は、オイリュトミーや水彩画が好きです。しかし、そういう考えの人たのもとではやりたくないんです。
参加率が悪くなったら、「私のエゴが強く、仲間と打ち解けられない、勉強しすぎでひきこもってる。」、というような批判がきこえるようになりました。
ただ、私は、不登校生や、中間一貫校から公立の受験サポートで忙しくなり、物理的に行けなくなっただけです。
とにかく、学歴がある人や学者をひっくるめて、頭デッカチだと勝手に推測しているんです。
そんなこと、全然ないです。
なかには確かに変な人もいますが、よっぽど、立派な人やバランスがとれた人も沢山います。
とにかく、私はジャッジされ、心に侵入され、変えようとされました。
私自身、変えたい気持ちはあります。成長したいし、シュタイナーのことをもっと良く知りたい。
しかし、ジャッジされたり、心に侵入されると、沸いてくるのは、怒りや反発心です。 そして、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、という気持ちでした。
私は、勇気を持って、その人たちから離れることにしました。私は、「変わる気持ちがないダメ人間だ」と、今も言われているでしょう。
で、考えてみたんです。私は、大自然のなかで育ちました。自然は、沢山与えてくれて、色々なことを教えてくれました。
でも、決して、私の心を踏みにじったり、ジャッジすることはありません。それでも私に変える力を与えてくれました。
病気も同じです。病気は、強さと忍耐力、感謝の気持ちをくれました。
書物は、沢山の知識と勇気を与えてくれました。シュタイナーも同じです。
独文を学んだ10年間、 先生方は、忍耐強く私を見守ってくれました。本当に成長できました。
今も、そうです。
私の心が踏みにじられた、と感じたことはありませんでした。
だから、シュタイナーをされてるかたから、ドイツ語学や文学を単なる頭デッカチのものと見られたり、くだらないものと、ジャッジされたとき、
私は、もう二度と、その人たちのもとには戻れないと思いました。
私は、シュタイナーを続けますが、シュタイナーを学ぶ人は選びたいと思います。
だから、そんな人に出会えるように、私自身も変わりたいです。
私は、間違ってるかもしれません。間違いながら、真摯に、一歩一歩進んでいきます。今回、人間関係に疑問を感じましたが、シュタイナー、水彩画、オイリュトミー、フォルメンは大変素晴らしいものだとわかりました。また、一部のシュタイナーに取り組む方から否定されるかもしれませんが、ヨガもユングの曼陀羅も同じくらい素晴らしいと感じました。 また、一歩前進したわけで、また懲りずに歩き続けます。
本当に間違いだらけ、こけてばかりですが、自分に嘘はつかずに、シュタイナーに限らず、全ての物事に敬意を払って生きていきたいです。
自然なものに、守られながら。自然なものには、エナジーがあります。生命力があります。私は、元気と勇気をもらえます。