あまりまとまった休みをとりませんが、この週末は、「何もやらない」と決めて、
猫の写真を整理したり、音楽をひたすらきいたりしてすごしました。
洋書は、もう日本語を読むように読むので、これは休暇のレクレーションようなものです。しかし、ゆっくり読み味わいました。

2011年、私の心と体はもうボロボロでした。震災はきっかけだったんですけど、何もなくても、遅かれ早かれつぶれていたと思います。

今振り返れば、つぶれた原因はわかります。
私の心を無視して突き進んだことと、休みを取り入れなかったことです。

「探求したい」という気持ちから「大学教授になりたい」と思うようになりました。そうすると、思いっきり好きなことをやるより、「難しくなさそうな、誰もやってなくて競争がないテーマがいいな」、とかそういう気持ちが入ってくるようになったんです。
学部、修士の私には、シュタイナーをテーマにするのは、難しかった。だから、避けたし、その後も何度も拾い上げたい気持ちがありながら、無視してきました。

自分のレベルが上がれば上がるほど、周りは優秀で、環境が恵まれている人ばかりになっていきました。”上”にははいつも誰かが常に君臨しています。だから、とても怖かったんです。実力もないし、自分に才能がないのはずっと前から知っていました。

おろかな選択でした。

今思えば、ずっと私を支えてくれているものは、出会ったときに完結しているんです。
英語、薔薇十字のかおり、ドイツ語、シュタイナー、教えること
それ以上でもそれ以下でもないんです。ただ、たんたんと探求や縁が続いている。それだけなんです。その行為で何かしてやろう、という気持ちもなければ、競争心とかまったくわかないんです。
ただ、毎日、その行為が続いているだけです。愛しい気持ちと感謝だけです。


だから、休みも上手く取り入れることができるようになってきました。
コツコツと、シュタイナーを探求できる環境を作ってきました。シュタイナーを探求しながら、環境が作られてきた、というべきでしょうか。
人と比べることではなくて、ただ私の持っているものや環境のなかで、色々な工夫と支えがあり、自分がつぶれない範囲を探ってきました。

シュタイナーは私の心をしっかりまんまるにして、体も健康にしてくれました。そして、実のある毎日がやってきました。今は、この日常がとても幸せに感じます。
だから、シュタイナーが教えてくれたものを体系的にまとめてみたい気持ちもあります。

いよいよ、本格的な探求がはじまります。
今年は、もっと中身の濃い探求ができそうなんです。