私の半生は、「教わること」と「教えること」でもあります。そこでひとつ気がついたことがあるんです。
あのですね・・・他人がいくら一人の人間を「変えよう」と思っても変えられないんです。


変える力を持っているのは、その人自身か、神様(自然とか現実、世界の流れ)だけです。

しかしながら、たとえば学生が自堕落な生活を送っていたとして、そのままほうっておけばいい、ということではないです。「医者になりたい」、と言いながら勉強しない学生をほっておいても、本当に学生は勉強しないで、口だけ人間になっちゃいます。


でも、私が怒っても、優しくしても、モノでつっても、根本的に他人を変えることはできません。それは、自分自身でもそうだからです。
誰かからコントロールされている、と思った時点で、どんびきします。しつこくされたら、感情の第一線を踏まれたと思って、永遠に拒絶します。

しかし、私のことを好きな人は、私に好かれようと思って、私の思いに反応するでしょう。昔、私のことを好きな学生が、私の”その子に対する希望”を先回りされて、結局、私がコントロールしてしまう形になってしまったことがありました。
「どうしてそうしてしまったの?」「先生が好きだから」って言われたときは、本当にその子の気持ちを汲み取ってあげられなくて、ショックでした。上手に教えることに気をとられてしまってその子をみていませんでした。つまり、自分のことしか考えてませんでした。


そういう失敗や観察を経て気がついたことは、
私ができることは、愛情をたっぷり注いであげること、社会システムや”現実”を冷静に教えてあげること、そして、とにもかくにも、その子を理解する努力をすること、出来る限りその子の意志を尊重すること、
おかしいな、と思ったらとりあえず話し合うこと。
本当にマレに、怒ることもあります。それは、あくまでも上記のことをベースにしています。

人を変えようなんて、おこがましいことは考えていません。できません。自分も変えられたくないし、誰かに言われても、どうせ変えられません。

でも、学生たちは、積極的に
頭がよくなりたい、成長したい、キラキラ輝きたい、学校に通えるようになりたい、社会で立派に働きたい、
そんなふうに意志を持っています。

だから、それがどうしたら出来るかを一緒に考えるだけです。
当たり前ですが、私には他人の決定権もないし、好みや希望もその人自身が良く知っています。


本当に素晴らしい気づきを得ました。
私を変えようとする人からも学び、私が人を変えようとしてしまった失敗からも学びました。
まあ、無理な話ですね。笑^^

大好きなバイロンケイティの考え方

自分の領域、他人の領域、神(現実)の領域
どの領域にいる?
頭のなかで、他人の領域や神(現実)の領域にいたら苦しいだけ。だって、変えられないから。
自分を不在にしないで、自分の領域に戻ろう!