今週は、シュタイナーの外国語教授方法や、言語学について中心に読んでいます。

それで、私が批判されることに対応を変えることにしました。
(外国語のやりすぎは、知性教育の悪しき習慣だ!もっと時間を短縮すべき)
というものが、私のなかに芽生えた違和感どおりに、その違和感を信じることにしました。
今までは、本当に心のなかで、シュタイナーを学んでいる人にひたすら誤ってました。
一時期は、言われた通りに、やめました。 ただ悲しかったです。

しかし、シュタイナーの外国語学を読んでて、思い出したのです。
私は長年外国語を学んできましたが、
頭だけ動かしても、決して外国語力は進歩しませんでした。


対象言語に対する深い愛情

対象言語の生命力を感じること

内的な動き、
ミクロとマクロへの視点、
リズムとメロディー
手足を使う

ドイツのいたるところ旅する
色んな人に会う

文化を知る
歴史を知る

ドイツ人や他の国の人のメッセージを聞こうとすること
理解しようとすること

私が感じている世界を、
間違いのないように、それらの人に伝えること。

文法の間違いは恐れないこと、
それでも、メッセージをしっかり伝える努力をすること


こういう背景によって進歩しました。


テキストブックもサブとして使っていますが、
必ず、そのターゲット言語で書かれた”生きたテキストブック”を使っています。

辞書も使っています。

でも、基本的なことは、
最初にあげた事項なんです。


私には、選ぶ権利があると思います。
当然、誰にでもあります。

私の対象への愛情と才能を守り、それを育ててくれる先生につきます。
探します。
ごめんなさい。
でも、私は自分を守りたいのです。

私は、シュタイナー業界の人に言われるように、ダメ人間に違いありません。

それは、本当に認める所です。
正しいことがわかりません。

だから、シュタイナーを広めよう、なんて大それたことをしたいとは思いません。

ただ、ドイツ語が大好きで、シュタイナーが好きなんです。
好きなことをする幸せを知ってるから、みんなも好きことをしてほしいです。

そう、幸せならいいと思います。
そう、私は、自分の幸せを守りたいのです。そして、みんなの幸せを祈りたいのです。

シュタイナーが広まるかどうかなんて、どうでもいいことです。

本当にごめんなさい。