創造性:植物の生命エネルギーのように
のつづきです。

私は、大自然のなか育ちました。コンビニを象徴とした便利なものがうまれていくなか、私の育った環境だけは、何も変わらない。いまも、ほんとうに何も変わりません。
だから、東京やニューヨーク、ベルリンに憧れました。(ベルリンは大都会じゃありませんでした。私はベルリンが一番大好きです。自然と街のバランスがほどよいです。)

それで、いろんなことを自然から教わりました。
シュタイナーを読む第二の理由はそこなんです。自然に何を教わったのかを、シュタイナーで再確認しています。だから、シュタイナーがすきなんです。

それで、私は、物事を「繁栄するエナジー」と「枯れているエナジー」、「制限のエナジー」と「発展のエナジー」、
「調和」か「キコーンという音がなるか」
をみます。
表面上では、逆だったりします。それでも、エネルギーが違います。

たぶん、それは・・・

これや(育つ、繁栄、発展)


これ(枯れる、終わり)


などの自然のエネルギーを、いやというほど見て育ったからだと思います。

その感覚が身についてて、結構、わかります。

だけど、社会性とか常識を学び、対象のエナジーが死んでいても、そちらを選択するようになったりして、失敗するなどの経験を繰り返し、
やっぱり、エナジーで判断するのが一番だという結論に達しました。
シュタイナーは良いです。だから、好きなんです。


繁栄しているもの、育っていく予感のするものを選んでいけばいいんです。
なんと、単純明快なのでしょうか!
たとえ、美しい言葉を飾り、その人がとても善い人でも、表面的には発展していく条件がそろっていても、なぜか、エナジーが死んでいるようなプロジェクトには参加しません。
もちろん、いくら表面的に枯れていても、エナジーの種があれば、参加します。
人はエナジーに誰もがあふれています。
枯れか、繁栄を選ぶのはその人のプロジェクトです。

もうひとつ、誤解の種はご老人に関すること。ご老人は、表明は枯れてくけど、中身は凄いエナジーで渦巻いてます。たまに、中身もあえて枯れていくのを選んでいる人もいます。
また、偉大な力が入ってるのは、動物たちとの調和に向かってるはず。

こういう選び方です。

私も選択には失敗もあるので、エラソーナことがいえませんが、
だいたいエナジー選びで合ってます。

ちなみに、語学がすきなのも、ドイツ語にこだわったのも、私の将来にとって、膨大な繁栄のエネルギーを感じるからです。そして、見事に発展してました。もっともっと育っていくと思います。
だから、枯れているような教材は使いません。
どんどん、ドイツ語の発展エネルギーに情熱をつぎこんでいけばいいんです。
アーベーツエーからでも、感じましたよ。大きな発展エネルギー!!
ドイツ文学・思想もどんどん発展していきました。途中で、ワイマールの女性作家のテーマに発展エナジーがないことに気がつき、博士論文計画を途中で、すべて白紙に戻しました。これは非常に迷いました。すべて積み上げてきたものを壊すのか!大学に残る道は閉ざされるぞ!エゴがにょきにょき出てきました。でも、怖かったけど、自分が壊れる前にエナジーに従いました。



シュタイナーにはものすごいエネルギーを感じますが、(原書)
いまだに、シュタイナーをたずさわっているグループで、発展エネルギーを感じるグループに出会っていません。条件もそろっているし、とても善い人たちなんですけどね・・・・

だから、だから、ドイツへ行くつもりなんです。別に日本人だからいやなわけではないのです。しかも、本場はドイツなんです。おかしな選択でしょうか・・・?
一人、薔薇十字研究者の方から、ものすごいエネルギーを感じています。
その方にコンタクトをとるつもりです。いま、必死でその方の本を訳して、ちゃんと受け答えできるように準備しています。

マーフィーの原書もすごいので、ぜひ読んでみてください。
私の知る限り、よい翻訳もありました。あまり個人名出して、これがいいとか悪いはいいたくないので・・・自分の力で、よい翻訳をみつけてくださいね!
だから、原書なら、間違いないよ!
原書からエナジーを感じ、それが全世界に広がって今も富を生み出す優れもので、実際に証明されているし、マーフィーは本当にわかりやすいので、迷ったら、マーフィー読んでくださいな。

とにもかくも、いったん、色々な情報をすてて、
繁栄を感じるか、枯れていくかを判断基準で選んでみてください。
ぜんぜん、現実がかわりますよ。

繁栄していくのだから、当然ですよね!!

まあ、一部の人には嫌われます・・・
ものすごく嫌われるかも。
それは覚悟しておいてください。

でも、偉大な力が入り込んでいないものと一緒に、制限に落ちていくのは、私はいやです。
選択の自由です。
それに、私は、誰にも強制しません。

ちなみに、そうすると、発達障害の子や恵まれない人を置き去りか!性格悪い!
みたいに、言われるのですが、
違います。人はみんな偉大です。しかも、個人で色々支援しています。どうせ枯れてしまうプロジェクトより、繁栄プロジェクトに参加して、みんなをより多く支援したいのです。相性の良いプロジェクトに参加したいのです。

今は、ブログでしか、こんなこと言っていません。いやなら、自由に閉じれますし、私のブログなんて、いったん出たら、もう見つけられないでしょう・・・


そっと出て行きます。
だから、なぜ責められるのかちょっとよくわからないのです。

私は、数学を教えるのはそこまでうまくないです。英語のレベルと比べるとせつないです。でも一定の人に定評があり、概念形成だけは、エナジーを感じてて、それだけはやっていこうと思っています。
だから、受験問題になると、少しエネルギーがとまります。
受験がはじまると、先生を変えられることがあります。受験までは、定評があってあまりかえられることはありません。
「先生よりうまい人がいっぱいいた。英語は先生が一番!」と子供たちは素直に言いますよ。
それは、その子の事実です。

そして、自分もそういう枯れたエネルギーを感じています。英語からは膨大なエネルギーを感じ、一生教えていくと思うのですが、数学はよくわからないのです。
数学に創造性を見出す人がやっていけばいいのです。そして、生徒は自由に選べばいいんです。
むしろ、私から受験数学を学ぶ人に、制限かかった私の数学でいいんですか?と思っています。
全力で教えますけどね。

ちなみに、誤解なきように・・・人ではないですよ。
人が行っているプロジェクトや作業ですよ。
その人が愛や創造性をもってやっていることには、繁栄エナジーがあるのだと思います。