私は、どの分野もリスペクトしています。どんな学派もどんな分野も。
私には、判別不可能ですが、どの分野にもすばらしいものはあるし、どの分野にもダメなものはあるんだろうと思います。そして、角度を変えれば、それは真実だし、また角度が変われば、それには欠陥がみえてしまうものだと思うんです。一見対立する意見も、きっと同じものなんだと思うんです。
だから、科学や数学を悪者にするのも違うし、オカルトだからといってすべてを排除してはならないと思うんです。
いつもシュタイナーは、あらゆる極の融合点をみていました。
もちろん、シュタイナーの目線は、ヨーロッパ人を基点にしています。
それからでも、よくわかります。彼は、必死で交差点をみつめていたんです。なぜならば、そこにパワーも秘密もあるから。
スティーヴジョブスが言っていました。
「文系と理系の交差点、人文学と自然科学の交差点という話をポロライド社のエドウイン・ランドがしているのだけど、この「交差点」が僕は好きだ。魔法のようなところがあるんだよね。・・・」
ジョブスの製品や思想をみてみると、彼もその秘密にふれていた、ということがわります。
それに、彼はヨーロッパ人でありながら、禅に傾倒していました。
彼はいつも交差点にいたような気がします。
実は私もこの部分にひどく共感するんです。
薔薇十字と薔薇十字が流れているシュタイナーの思想の基本軸は、東洋と西洋の融合点をめざすものです。
基本的に、薔薇十字は、ヨーロッパ人からみた、東洋へ向かう道なんです。
これは、私が色々な思想にふれて、感じていることなんですが、
宇宙は、呼吸するように、ひとつになり、そして、ひとつからばらばらになっていく。
そしてまたひとつになる。すってはいて、収縮、拡散。そうやってすべては動いている。
時間の流れというより、呼吸のリズムに近い気がします。
シュタイナーの魂のカレンダーにもあるように、時間の流れに真実が姿をあらわすのではなくて、内と外、冬と夏、などの一点と一点の変化に、その秘密はあかされる、というようなことがあります。
シュタイナーのカレンダーは、独自のアイデアで、
季節の推移と人間の関係を結び、力を創造していく、というスタンスです。
シュタイナーを知ってほしい、と思う私の原動力は、この辺なんです。
交差点を見る目、
それは別にジョブスの生き方からでもいいんですが・・・
私はずっと構造に興味をもってきました。
思想も語学もすべて構造的に分解してしまいます。バラバラにやってしまいます。
そして、構造として枠がきっちりしっかりしているドイツ語がとても大好きです。逆に、英語は、10年たってみて、なんて難しい言語なんだ!とおどろいています。例外につぐ例外。
もちろんドイツ語も難しいですが、やっぱり枠がとてもしっかりしています。
それで、シュタイナーの構造ですが、やはりその視点があらゆる極の交差点にあります。
その交差点から、あらゆる美的で詩的でダイナミックな表現が生まれている感覚です。
(すべて感覚ですからあしからず)
それで、ジョブスも、あの交差点をみていました。あそこから、無限にアイデアが沸くでしょう、そうでしょう。
シュタイナーもいくらでもアイデアが沸いていました。
だから、ここからは私の持論ですが、
自分が好きな分野があったら、あらゆる極の”交差点”にいくこと。
絶対にアイデアがつきないですよ、これはほんとうだとおもいますよ。
ジョブスのコンピューターでも、シュタイナーの人間学でもなんでもいいです。
点か線か、という問題をずっと考えていました。
これは本当に大好きで、線と点の問題の文学論を書いたことがあります。
結局、研究ノートで終わってしまいましたが。わたしにとってはとても大事なテーマです。
”線”はとてもすばらしいし、人生の基本だけど、創造性は”点”にあるんですよね。
だから私はシュタイナーが大好きなんです。線から解放してくれるから。
これがいまのところ、”私のシュタイナー”です。
シュタイナーがゲーテ時代から、アカシックレコード時代とは全く違うように、私も変わる可能性はありますが。
私の本質とシュタイナーがぶつかったところにうまれたのが、
このテーマです。
みんなを創造性に導くシュタイナーを私は追いかけ続けています。
私には、判別不可能ですが、どの分野にもすばらしいものはあるし、どの分野にもダメなものはあるんだろうと思います。そして、角度を変えれば、それは真実だし、また角度が変われば、それには欠陥がみえてしまうものだと思うんです。一見対立する意見も、きっと同じものなんだと思うんです。
だから、科学や数学を悪者にするのも違うし、オカルトだからといってすべてを排除してはならないと思うんです。
いつもシュタイナーは、あらゆる極の融合点をみていました。
もちろん、シュタイナーの目線は、ヨーロッパ人を基点にしています。
それからでも、よくわかります。彼は、必死で交差点をみつめていたんです。なぜならば、そこにパワーも秘密もあるから。
スティーヴジョブスが言っていました。
「文系と理系の交差点、人文学と自然科学の交差点という話をポロライド社のエドウイン・ランドがしているのだけど、この「交差点」が僕は好きだ。魔法のようなところがあるんだよね。・・・」
ジョブスの製品や思想をみてみると、彼もその秘密にふれていた、ということがわります。
それに、彼はヨーロッパ人でありながら、禅に傾倒していました。
彼はいつも交差点にいたような気がします。
実は私もこの部分にひどく共感するんです。
薔薇十字と薔薇十字が流れているシュタイナーの思想の基本軸は、東洋と西洋の融合点をめざすものです。
基本的に、薔薇十字は、ヨーロッパ人からみた、東洋へ向かう道なんです。
これは、私が色々な思想にふれて、感じていることなんですが、
宇宙は、呼吸するように、ひとつになり、そして、ひとつからばらばらになっていく。
そしてまたひとつになる。すってはいて、収縮、拡散。そうやってすべては動いている。
時間の流れというより、呼吸のリズムに近い気がします。
シュタイナーの魂のカレンダーにもあるように、時間の流れに真実が姿をあらわすのではなくて、内と外、冬と夏、などの一点と一点の変化に、その秘密はあかされる、というようなことがあります。
シュタイナーのカレンダーは、独自のアイデアで、
季節の推移と人間の関係を結び、力を創造していく、というスタンスです。
シュタイナーを知ってほしい、と思う私の原動力は、この辺なんです。
交差点を見る目、
それは別にジョブスの生き方からでもいいんですが・・・
私はずっと構造に興味をもってきました。
思想も語学もすべて構造的に分解してしまいます。バラバラにやってしまいます。
そして、構造として枠がきっちりしっかりしているドイツ語がとても大好きです。逆に、英語は、10年たってみて、なんて難しい言語なんだ!とおどろいています。例外につぐ例外。
もちろんドイツ語も難しいですが、やっぱり枠がとてもしっかりしています。
それで、シュタイナーの構造ですが、やはりその視点があらゆる極の交差点にあります。
その交差点から、あらゆる美的で詩的でダイナミックな表現が生まれている感覚です。
(すべて感覚ですからあしからず)
それで、ジョブスも、あの交差点をみていました。あそこから、無限にアイデアが沸くでしょう、そうでしょう。
シュタイナーもいくらでもアイデアが沸いていました。
だから、ここからは私の持論ですが、
自分が好きな分野があったら、あらゆる極の”交差点”にいくこと。
絶対にアイデアがつきないですよ、これはほんとうだとおもいますよ。
ジョブスのコンピューターでも、シュタイナーの人間学でもなんでもいいです。
点か線か、という問題をずっと考えていました。
これは本当に大好きで、線と点の問題の文学論を書いたことがあります。
結局、研究ノートで終わってしまいましたが。わたしにとってはとても大事なテーマです。
”線”はとてもすばらしいし、人生の基本だけど、創造性は”点”にあるんですよね。
だから私はシュタイナーが大好きなんです。線から解放してくれるから。
これがいまのところ、”私のシュタイナー”です。
シュタイナーがゲーテ時代から、アカシックレコード時代とは全く違うように、私も変わる可能性はありますが。
私の本質とシュタイナーがぶつかったところにうまれたのが、
このテーマです。
みんなを創造性に導くシュタイナーを私は追いかけ続けています。