シュタイナーの基本的な部分は、この、世界や生命は、固定されてない、 という部分だと思います。 すべては、流動しています。
つまり、安定とか現実維持というのは、なんだかちょっとおかしい気がします。
逆に考えると、だからこそ、このままのわけはなくて、未来は創造できます。
ルー・タイスが言ってることに感動しました。
「ニュートンは、神は完全な世界を創造したけれども、人間は例外で、基本的に罪なる存在だとみなしていました。
もし神が完全な世界を創造したのなら、なぜ人間は、あらゆる想像力や創造力を用いてそれを変えようとするのか、それでは物事が混乱する。 と。
しかし、200年後、ノースホワイトヘッドは、流動的でダイナミックな世界を語りました。
ホワイトヘッドにとって、人間が神とともに創造する世界を描いていました。
高パフォーマンスの人たちはホワイトヘッド的な世界に生きているそうです。
シュタイナーも、後者です。
しかし、うちにある破壊の力を社会に向ければ、悪になり、
破壊の力をうちにとどめて、善なるもので満たせば、それは、未来の創造力になります。
わたしは、うちにある創造する力を抑圧する社会になれば、破壊の力を社会に向ける人になってしまうと思います。
だから、自分のうちなる情熱や衝動は大事にしたほうがいい、と思います。
つまり、安定とか現実維持というのは、なんだかちょっとおかしい気がします。
逆に考えると、だからこそ、このままのわけはなくて、未来は創造できます。
ルー・タイスが言ってることに感動しました。
「ニュートンは、神は完全な世界を創造したけれども、人間は例外で、基本的に罪なる存在だとみなしていました。
もし神が完全な世界を創造したのなら、なぜ人間は、あらゆる想像力や創造力を用いてそれを変えようとするのか、それでは物事が混乱する。 と。
しかし、200年後、ノースホワイトヘッドは、流動的でダイナミックな世界を語りました。
ホワイトヘッドにとって、人間が神とともに創造する世界を描いていました。
高パフォーマンスの人たちはホワイトヘッド的な世界に生きているそうです。
シュタイナーも、後者です。
しかし、うちにある破壊の力を社会に向ければ、悪になり、
破壊の力をうちにとどめて、善なるもので満たせば、それは、未来の創造力になります。
わたしは、うちにある創造する力を抑圧する社会になれば、破壊の力を社会に向ける人になってしまうと思います。
だから、自分のうちなる情熱や衝動は大事にしたほうがいい、と思います。