現代日本人は、いまは確固とした自我を持っています。だから、この自我をなくすことはもうできないと思います。なくしたふりをして、「俺は悟りを拓いた」と豪語して上からアドバイスしてくる人は、最近よくみかけます。


私たちの自我は、内面の記憶を反射する鏡と、感覚によって現れる感覚のじゅうたんの間にとざされていて、向こう側を知ることが出来ません。もしいけるとしたら、睡眠しているときか、自我が崩壊するかです。(狂気の世界ってことですよ)



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純粋な意味で東洋的なままの人々はいまもなおいると思います。本当に修行して悟りを拓いちゃったひともいるんでしょう。

でも、普通の日本人はもう後戻りできないほど、知性的になってしまったので、西洋的な問題をさけることはできないと思います。


つまり、西洋的な問題とは、自我では、本当の世界を知ることが出来ないこと。エゴになりやすいことです。エゴとは、道徳性をなくした自我です。エゴが強まれば、社会悪になります。


自分を捨てられるはずはないのに、

自我を捨てる、思考を捨てる、という方向性で解決しようとしてくるものはあります。

でも、思考はやめられない。

それは、日本人が西洋教育を受けてしまったんだから仕方ありません。

もう私たちには知性が芽生えています。

私も20代に、内的混乱を「自我を捨てる」という方向性で、解決しようとして、東洋的な解決策を模索しました。でも、失敗しました。それで、本来的な悟りの世界にいくには、すさまじい道を通らなければならず、本気の覚悟がいることも知りました。良いとこどりの簡単な方法で、悟れるわけがないのです。妄想の世界にはまってしまう危険性がものすごく高いだけです。

ちなみに、悟りと同じ段階になるのがドイツ語では、「秘密を打ち明けられる」という意味の単語で、シュタイナーは紹介しています。私たちは、準備して、自然から秘密を打ち明けられるのを待つしか手立てはないのです。


それで、その秘密を打ち明けられる状態を作ることも、シュタイナー思想のもうひとつの大きなテーマですが、

創造的に生きるというのも、大きなテーマです。

私たちは、自分自身を輝かせて生きたいのではないでしょうか。

たしかに、東洋的にいえば、本来的に自我というものさえ、幻想かもしれない。でも、西洋化した私たちには、「私」が思ったよりもリアルに存在しているんです。

「私」は、つかいようによってはとても危険です。人と仲良く手を取り合って生きることは実際問題難しいです。

だって、人と人が手を取り合うべきだとわかっていても、創造的に生きてみたいという情熱や欲望がたしかにうずまいているではないですか。


だからこそ、「私」が創造的にいきながら、手をとりあっていくことを目指すべきなんだと思います。


自分を捨ててでも、人と人と手を取り合うっていうのは、古いシステムでは可能だったけど、もう無理だと思います。


創造していく、そして、みんなが協力していく。

シュタイナーは、それが出来る!といっています。

それが出来る方法を何度も提示しています。


社会的に手を取り合っていきながら、創造的にそれぞれが生きられるんです。

そして、それは、シュタイナーや誰かが上から目線でアドバイスするのではなく、

自分で、みつけるんです。

その枠組みを提示しているのがシュタイナーです。



私の愛すべき友人としてのシュタイナーや人智学を

わかりやすくここで紹介していけたら、うれしいです。

それから、ドイツ語でしか知りえない情報とかね。


みんながそれぞれ創造的に輝かしく生きながら、周りと手をとりあって愛にあふれていきられますように。それができるんです。