シュタイナーコレクション「照応する宇宙」の読書会があるので、GA119を読んでいます。

めずらしくこれは、全部GA119を訳されてる感じだね。(*´Д`)順番が一部ぎゃくだけど。


で、第一講から読んでて、

その冒頭で

記憶の鏡や感覚のじゅうたんを超えて、世界を理解しようとする一種のエクスタシーについて書かれていました。



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写真での構図、これね。

私たちは、本当の世界をみれるわけもなく、外へ向けようとも、内へ向けようとも

自我「私という意識」があるかぎり、その境界線をこえることができないのです。

でも、自我で、その壁を越えようとうすと、自我が崩壊しますよ!という話ですが、これは東洋的に悟りの境地の世界なんだと思います。それに、この境地にいくのは、いつも狂気と隣り合わせ。

もちろん、シュタイナーはそれをすすめていません。しかし、それは実際にあることなんです。

ここでは、睡眠について書かれています。

睡眠中にどんなことが起こっているのか・・・


実は睡眠中には、その感覚のじゅうたんと、記憶の鏡のうしろの世界に、自我が身をゆだねてしまうんです。エクスタシーの場合には、「私」がなくなっても、意識は残る。

でも、睡眠時には、当然だけど意識もぶっ飛んでしまいます。

で、この意識の担い手が、アストラル体とよばれているものです。

(動物は、自我はないけど、アストラル体はあります。動物を観察してみるともっと身近に感じるかも。

動物にも意識はあるよね。

逆に植物は、生命体まで。だから意識がなくて、体だけ生きている人を植物人間ってよぶんだね。

鉱物は肉体そのものとお仲間。素材的というか・・・)


意識を担うアストラル体と自我が、感覚のじゅうたんを超えて、ほんとうの世界をみているんだよね。


よく、優秀な人とかってよく寝るらしいよ。

それに、何かに取り組んで、わかんないまま寝ると、おきたときそれがなぜかわかってたりする。

だから、シュタイナー教育とか思想って、起きているときと寝ているときの力を最大限に使うんだよね。

それって、やっぱり睡眠がとんでもなく重要だってことなんだよね。

一部の人が、エクスタシーで必死でやろうとしてたことを、普通の人が睡眠でやってのけてるんだもの、かなり安全に。


それと、ニーチェのことを思い出す。

シュタイナーがニーチェをおとずれたとき、顔は恍惚として、でも、彼はもうおかしくなってた。

でも、顔は恍惚としてた。っていうのが忘れられないのです。

ニーチェの、「この人を見よ」、に衝撃を受けた、一時は、あれはネタかと思ってたけど、

やっぱり境界線を越えて、真実を垣間見れた代わりに、自我を失ってしまったのかな、と思います。自我をなくすかわりに、ずっと恍惚のなかに生きていたともいえる。



意識はあっても、「私」を失うのは怖いです。しかし、大丈夫!シュタイナーは、「私」とう社会的な中心ポイントを保ったまま、かなりすごいことをやってのけたひとです。