こんにちは
当不登校が始まった時の振り返りをしてみます
わが子の通う小学校では
8:15になると昇降口が閉められ
通用口のインターホンを鳴らして
「〇年〇組の~~~です」
と職員の方に申し出て
通用口から入るという決まりです
最初は7:50ごろになると
もう間に合わない
と言って喚き出し
「行かない」
の一転張り
「インターホンで名乗り出るのが負担なのね…」
と、真に受けていました。
ランドセルと荷物を自宅玄関から出して
無理やり登校させたり
自転車で送ったり
いつも旗当番してくださっている校長先生や
副校長先生にも説得されたりしながら
(登校渋りの様子を見ていらっしゃったので事情をご存知でした )
無理やり登校させていました
「お母さん帰ってくださって大丈夫です」
と言われて帰宅するも
「これでいいのかな??」
「間違ってないかな??」
など自分自身が納得していませんでした。
なぜなら娘の心の叫びを無視して
こちらの都合の対応をしているのではないかな??と
感じていたからです。
登校渋り
と検索すると
見守る
無理やり行かせると
余計悪化する
などと出てきます
実は登校渋りは
長女の時にも体験しているため
なんとなく無理やり連れていくよりも
子供を休ませてあげた方が良さそうだな
と判断し、休ませることを選択しました。
少し休めばそのうち行けるかな、
と思っていたのですが、そうではありませんでした。