本日、父の命日にこのブログをつくりました。
天国にいる親愛なる父に、この論文を贈ります。
平成24年11月24日、文部科学大臣杯全国青年弁論大会において弁論させていただいた弁論文です。
この弁論をした1年後、この婚外子差別に対する法律が違憲とされました。これは違憲とされる以前の、婚外子当事者のひとりとしての私の気持ちです。
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「ラブチャイルド ―私の価値は2分の1じゃない―」
聖心女子大学 柳沢 光華
ラブチャイルド。英語で「非嫡出子」を意味するスラングです。愛の子どもとは素敵な言葉だと思いませんか?
世界で当たり前とされる家族の形は、婚約している夫婦とその子供と考えるのが一般的でしょう。しかし、籍をいれていない男女の間に生まれた子は「非嫡出子」、「婚外子」という肩書きがつき、差別を受けることもあります。
日本に生まれた婚外子の数は日本人人口の約3パーセントに及びません。実は私はその一人です。婚外子がまず貼られるレッテルは、片親のいないかわいそうな子、問題のある家庭なのかという同情や軽蔑です。そんな差別が「婚姻届」という紙1枚で生じてしまうのです。最初は、「法律なんてただの法律」と思っていました。自分が婚外子だということを知った時も、そんなの関係ない、と思えた私は幸せだったのでしょう。中学生の時に父親と呼んでいた人と名字が違うことを友達にからかわれたことは、確かに悔しかった。しかし、そこまで気にはなりませんでした。法律がなんといおうと、別に不自由はないじゃないか。しかし私は今、法律の力はすごいと思っています。それは、自分の戸籍を見たときのことです。私は婚外子でありながら、父に値する彼の顔も知っていれば、彼と家族だという認識もありました。そんな私の意識に関わらず、その戸籍の「父」の欄は空白でした。その時はじめて、「ああ、私は世間的に見たら、父親のいない子なんだ」と思い知らされたのです。
3年前のことです。私はそんな父と死別することになりました。その時、私が父の死亡の連絡を受けることができたのは、たまたま運がよかったからです。父の手帳に、私の名前と連絡先を「長女」として書いていてくれたからでした。もしその一筆がなければ、私は今も、父から連絡がないなとは思いつつも、死亡したなどとは思いもしなかったでしょう。そう思えば、それはとても恐ろしいことのように感じました。私が家族だと思わなければ、いいえ、思っていても、父と私は社会的には家族ではないのです。
「法律なんて」。そう思っていた私の考えを大きく揺るがすことになったもうひとつのことは、ある法律が、自分に関係する事柄になったことです。その法律、民法900条4号ただし書きは、両親が婚姻届を出さずに生まれた子の法定相続分は両親が婚姻届を出した子供の2分の1と定めています。これは父の死亡報告を受けるまで知らなかったことなのですが、私には腹違いの兄がいるようでした。母親は違えど、父が私も兄も家族と思い愛してくれたことは間違いのないことです。しかし、憲法14条によって法の下に平等であるはずの法律が、民法900条によって私と兄は差別されました。相続がほしかったわけではありません。私は、兄と同じように父に愛されていたことを、「違う。あなたは婚外子だから、婚内子として生まれたお兄さんの価値には及ばないのよ」と、法律に、社会にいわれているような気がして悔しかったのです。人の価値を半分にするような法律を、私は好きになれません。
日本の婚外子の割合は、2008年度のデータを見ると、一番婚外子の多いスウェーデンでは、約55パーセントなのに比べ、なんと日本は3パーセントを切りました。現代の社会で問題になっている少子化の原因のひとつである生みにくさや育てにくさには、婚外子に対して優しくない社会や法律も原因なのではないでしょうか。
家族とはなんでしょうか?私は、法律によって認められた家族も、法律にとらわれない家族も、本人たちが家族と思うのなら、家族である思っています。また、そんな社会になればいいなとも思っています。私が出会った中でも、家族の形は実にさまざまです。再婚などで血の繋がっていない家族、セクシュアルマイノリティーの家族。児童養護施設で暮らす子どもたちも、彼らにとっての家族は施設の仲間かもしれません。私はどの家族も、いい家族の形だと思います。
このように、家族であるかの内面的な判断は他者の見方では変わりません。しかし、それを社会的なものにできる要因は、他者の判断の力が大きいのではないかと思います。ここにいる皆さんの判断によって、私たちは自信を失ったり、持てたりするのです。婚外子に対する色眼鏡を外せば、その子を一生懸命育てようとした人の愛が見えるでしょう。私も婚外子として、私を一生懸命育ててくれた母や祖母の愛と強さをみてきました。その愛は、将来私がどんな家族を持つことになったとしても、強く生きる力と自信を与えてくれるでしょう。自分の将来がどうなるかは分かりません。でも私は、自分が家族だと思った人を家族だと胸を張って生きていきたいです。例えば将来、私が、そして皆さんが婚外子の母になることがあったとしても、周りの人に「ラブチャイルドだね」といってもらえるような社会になりますように。
私の肩書は「ラブチャイルド」。