今や普通のことかもしれませんが


心が満たされていたり、しあわせだなぁと感じるときは

『幸せのもと』をつくってくれている人や物に感謝をします。



私と息子は眠る前に

今日の嬉しかったことや感謝を言ってから寝ますが、


お風呂から出るときにも 

お風呂に『ありがとう』を伝えたりします。



お水が水道で使えることや 

暖かい環境で住まいを過ごせることが『あたりまえ』じゃなくて

『誰かのおかげ』で成り立っていることに

いつも感謝を心がけたいなと思っていますにっこり

(たまに心が荒んでしまうときはこれを忘れている気がする。)



お金をお支払いしても 

つくってくれる誰か、がいないと何も買うことができないように

いつも幸せは誰かのおかげさまですね。


ありがとうございます🙂







産まれてまだまもなくても
小さな頃から個人の好みだったり、性格がありますよね。

その個人の考えが
家庭環境や親や保護者の感覚に当てはまらないと 
その考えを認めなかったり、発言を拒否されたり
極端に「こうあるべき」という考えをおしつけられることがあります。

もちろん、マナーとしてだったり
将来この子が困らないように、、。
という親の「愛情として」がほとんどなのだと思いますが
自分の不安やコンプレックスを相手の中にみてしまう ということも多くあるのかな、と感じます。

だからほんとうにそこが難しいんだろうな、と感じるんですが

子どものほうが動物的感覚みたいなものは
とても優れているので

親や大人がいくら「こうあるべき」と思っての行いだとしても
子どもが頑なに拒否するものって必ずあって

子どもが人間らしく成長していくにつれて
そのぶつかり具合が大きいものになっていきますよね。


親の時代の価値観と
新しい時代を生きていくのに適した子どもが
もともと合うわけ無いとさえ思うことがあります。

私は
誕生日だったり星の位置がヒトに与える影響だったり、色んな人のタイプを勉強するのが昔から好きなので
子どもと過ごすのにはそれが役にたっているなあと感じます。


子どもでも大人でも
その人(人格)を認める(まるごと愛する)ことがなによりも先にあると
心が落ち着いて成長できます。

常に自分を認めてもらえない環境では心が落ち着きませんし
何を伝えようとしても
「子どもだから」とか「理解できない」って
蚊帳の外にして聞く耳を持たないでいると
人は反抗心を覚えます。
(私自身のこと 笑)

本来心が「ワクワクする」ことで人生の指針が
解りやすくなるところを
そのワクワクを見失ったり遠ざかってしまうこともありますよね。

大人でも 一見解りにくくても
常に内面が反抗の状態の人は割りと多いように思います。
不満や文句が多いとか 常に誰かと比べたりですね。

そうなってしまうかたに色々と聞いてみると

自分をまるごと、無条件で愛情に満たされた感覚が薄いってことが多いです。
(気づけてなかったり。)

すべてが人のせいになってしまう考えかたはどうかと思いますが



無条件に愛される感覚って

「条件付きじゃなくても
ただ自分が受け入れられているかどうか」っていう安心感の
すごく敏感なレーダーが人間にはあるんですよね。
見えないけど。
ものすごいレーダーです。

でも言葉でも伝えるのは大事ですよね
「出来てても、出来てなくてもどっちでも○○(お子さんの名前)のこと大好きだよおねがい」って伝えたり。

この安心の感覚が日常にあるかないかで
選択することや物事が大きく変わってくるんですよね。
人生がまったく違うと思います。


自分がそれを意識して子に接するだけでも
関係性が変わってくると思います。

地球に産まれている以上は、その魂が体験してみたいことがあると思っているので🌍

自分の人生を信頼するのと同じくらい
相手の人生を信頼するっていうのもまた大切で
 学びなのかなぁと感じます。