凡庸な教師は、ただ喋る

良い教師は、説明する

優れた教師は、やってみせる

偉大な教師は、心に火をつける

               

            ウイリアム・アーサー・ワード

19世紀のイギリスの哲学者のことばです。


教育の現場に身を置くと、このことばの重みを肌で感じます。

ただ喋るだけの教師の多いこと、それだけで満足し、

相手の班親感情には、まったく無関心な教師。


また、説明はするものの、一方的で、杓子定規な説明に終始し、

自らの思いや相手に対する責任を感じ取ることができない教師。


そんな中にも、自らきちんと手本を示し、わかりやすく伝えようと

努力する教師もたくさんいます。


しかし、問題はその先にあります。


どんなに工夫し、情熱を持って伝えても、

肝心の相手が「その気」にならなければ

何も変わらないのです。


「偉大な教師」とあるが、

もともと教師とは、相手の心に火をつけることが

その目的の全てなのかもしれない・・・ 

昨日は「成人の日」。

各地で成人式がとりおこなわれて、

その模様がTVにニュースなどに流れていた。


毎年恒例のモザイク入りの大騒ぎシーン・・・

大半の成人はきちんとしているが、

酒を飲んで暴れたり、そろいの羽織で

派手なパフォーマンスばかりを取り上げるので、

「まったく、最近の若者は・・・」となってしまう。


あんな場かな連中は公共の電波に取り上げるべきじゃないし、

取り上げたところで何の意味もない。


それより大半の全うな成人にスポットをあてて、

将来の夢やいま思うこと、社会への期待や不安を聞いたほうが

ずっとましな現代の若者像が見えてくると思う。


二十歳なんて大半がまだ学生。

そんな人たちに品格を求めてはいけないと思う。


彼らの人格形成はやっと始まったばかりなのだから。

勝ち組とか負け組みとか、

人生の成功者とかよく言うけど


人生にとっての成功って何ですか?

名誉?財産?肩書き?...


それぞれの価値観の問題かも知れないけど

どの道いつか、人は死ぬ。


その最後の瞬間に名誉や財産や肩書きは

何の役に立つのだろう?


いま旅立つ、その刹那に

「あぁ良かった、ありがとう。」と言って

満足して旅立てるには

一体何が必要なんだろう。


自分の為すべきことを見つけ、

自分らしく、その役割を全うできれば

それだけで充分なのかもしれない。


いま僕は、自分の為すべきことを

自分らしく、全うしているだろうか・・・