スピンオフ編~長崎県長崎市・出島とは一味違う歴史遺産『唐人屋敷跡』 | Love Beef Cutlet? Eternal Traveler~生涯旅人

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全国各地のビーフカツを紹介している超変人の超マニアックなブログです。最近は国内、韓国、中国などのB級グルメについても書いています。

ビーフカツを求め全国各地を彷徨う超変人の超マニアックなブログです。今回はスピンオフ編。ビーフカツやその他の食べ物からは離れ、これまでの国内外の旅などで印象に残っているスポットなどをご紹介します。

 

今日は

長崎県長崎市の

『唐人屋敷跡』です。

 

最寄駅は

路面電車長崎電気軌道

『新地中華街』電停。

 

停留場から徒歩5分

新地中華街の北門に至ります。

 

中華街のメインストリートを抜け

南門を出たところにあるのは『湊公園』。

 

殆どの観光客はここまでで

中華街で食事をして

他の観光地に向かいます。

 

しかし

中華街よりも興味深い処が

この直ぐ近くにあります。

 

中華街の南門を背にして

左方向に100mほど進むと

『唐人屋敷跡』の扁額が掲げられた

立派な中華門が現れます。

 

鎖国政策をとった江戸幕府は

中国商船の入港を長崎一港に制限しましたが

キリスト教徒でない中国人は

長崎市内に自由に居住することができました。

 

17世紀後半には

中国商船が多数来航し

密貿易も増加します。

 

このため長崎奉行所は

中国人居住地区も制限することとし

唐人屋敷の建設に着手

1689(元禄2)年に完成しました。

 

塀と堀で囲まれた唐人屋敷は

広さは3万㎡ほどで

最大2000人ほどの中国人が居住していました。

 

当時の中国は清王朝の時代ですが

日本では中国のことを『唐』と呼ぶことが多く

唐王朝の時代でもないのに

『唐人屋敷』と呼ばれました。

 

1859(安政6)年の開国により

唐人屋敷は廃屋化します。

 

現在では都市化が進み

当時の面影は殆どありませんが

何棟か中国風の建物が残っています。

 

門をくぐりすぐ右手に見えるのは

1691(元禄4)年に創建された『土神堂』。

 

1784(天明4)年に火災で焼失しましたが

唐三か寺により復旧されました。

 

唐三か寺とは

『興福寺』、『福済寺』、『崇福寺』のことで

『長崎三福寺』と呼ばれることもあります。

 

1950(昭和25)年には

原爆被害と老朽化のため解体され

石殿だけが残っていましたが
1977(昭和52)年に完全に復元されました。

 

堂内の小さな祠に祀られているのは

郷土の守護神である土地公『福徳正神』です。

 

土地公の由来については

多くの言い伝えがありますが

周王朝の上大夫の家臣で

主人の娘を自らの命を賭して守った

張福徳が土地公になったという伝説があり

『福徳正神』と呼ばれています。

 

『土神堂』から20mほど進むと

左側に階段があり

その先に中国風の建物が見えます。

 

扁額には『福建会館』と書かれていますが

正式には『福建会館天后堂』。

 

1868(明治元)年に

福建省出身者により『八閩会館』として創設され

1897(明治30)年の全面改装により

『福建会館』に改称されました。

 

原爆の投下により本館が倒壊し

現在は正門と『天后堂』が現存しています。

 

中国風と和風が併存した建築様式が特徴で

中国との交流の歴史が凝縮された建物です。

 

祀られている天后は

『媽祖』とも呼ばれる海の女神です。

 

中庭には

中国の国父と呼ばれる孫文の銅像があります。

 

1912(大正2)年

華僑主催の歓迎午餐会に出席した時に

長崎県知事らと集合写真を撮った場所であることを

記念して建立されたようです。

 

非難を覚悟で申しますが

私は孫文は稀代の詐欺師であると思い

大嫌いな人物の一人です。

 

『福建会館』の向いにあるのは『蔵の資料館』

唐人屋敷跡地の払い下げを受け

大地主となった森伊三次の蔵だったものです。

 

蔵の中ではパネルや模型で

唐人屋敷の歴史などが紹介されています。

 

『蔵の資料館』の裏口を出ると

表通りとは一味違う小径が続いています。

 

小径の突き当りにも

中国風の建物が見えます。

 

こちらも『天后堂』です。

 

『福建会館』の『天后堂』は

福建省出身者によって建立されましたが

こちらは南京出身の人々により

1736(元文元)年に創建されたものです。

 

現在の建物は

1906(明治39)年に改築されたものです。

 

祀られているのは

『天后聖母(媽祖)』。

 

命懸けで海を渡って来た中国人たちが

航海の安全を祈念して祀ったものです。

 

天后聖母を護るのは二柱の配神。

 

向かって左側には『千里眼』

天后聖母が進む先やその周りを監視し

あらゆる災害から守ります。

 

向って右側には『順風耳』

あらゆる悪の兆候や悪だくみを聞き分け

いち早く天后聖母に知らせます。

 

堂内には関羽も併祀されていることから

『関帝堂』と呼ばれることもあります。

 

表通りを挟んで向かい側にあるのは『観音堂』。

 

唐人屋敷時代のものと言われる

アーチ型の石門が印象的で

独特の趣があります。

 

1737(元文2)年創建と推定され

現在の建物は

1787(天明7)年に再建されたものを

1917(大正6)年に改築したものです。

 

堂内に祀られているのは

観世音菩薩と関帝(関羽)。

 

中央には童子を抱えた観世音菩薩

その前には千手観音が祀られています。

 

こちらは関帝

気のせいでしょうか

『天后堂』に祀られた関帝より

心持ち穏やかな表情をしています。

 

表通りに面した赤レンガの蔵

オフィシャルの資料に記載されていませんので

断定はできませんが中国的な趣きです。

 

『出島』と同等の価値を持つ『唐人屋敷跡』ですが

マイナーな存在なのでしょうか

人出も少なくゆっくりと堪能できました。

 

 

土神堂/福建会館/天后堂/観音堂

見学時間:9:00-18:00

蔵の資料館

9:00-17:00

 

次回は、本日15:00に『街角アート編』。東京都新宿区西新宿の『風の中』です