ビーフカツ~総集編『ビーフカツの歴史』 | Love Beef Cutlet? Eternal Traveler~生涯旅人

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全国各地のビーフカツを紹介している超変人の超マニアックなブログです。最近は国内、韓国、中国などのB級グルメについても書いています。

ビーフカツを求め全国各地を彷徨う超変人の超マニアックなブログです。今回は、ちょっと趣向を変えて『ビーフカツ』の歴史をお話しします。最初にお断りしておきますが、内容は私論であり必ずしも史実に基づいたものではありません。

 

そもそも論としてビーフカツとは何なのか?大雑把に言えば、牛肉にパン粉の衣をつけて油で炒めた料理(sauté)及び油で揚げた料理(deep fry)の総称です。関東では、牛カツ、牛カツレツなどと呼ばれることもあります。他方、関西では、ビフカツと呼ばれることが一般的です。

 

ビーフカツは、肉食文化が解禁された明治初頭に西洋料理店で供された『コートレット(Cotelette)』が起源とされています。コートレットはフランス語由来で、『コットレット』と表されることもあります。牛肉または仔牛肉にパン粉の衣をつけフライパンで炒め焼きしたもので、ドイツやオーストリアの郷土料理であるシュニッツェル(Schnitzel)とほぼ同じものであったと思われます。

 

オーストリア・ウィーン市インペリアルホテルのシュニッツェル

 

英語圏ではコートレットは『カトゥレット(Cutlet)』と呼ばれ、これが日本で後々訛り『カツレツ』、『カツ』と呼ばれるようになりました。

 

ちなみにコートレットは、1872(明治5)年に仮名垣魯文(1829~1894年)が著した『西洋料理通』に『ホールクコットレット』の名前で紹介されています。ホールクはporkを片仮名で表記したもので、コットレットと称しているものの衣は無く、実態はポークソテーに近いものであったと推察されています。

 

画像はネットからお借りしました

 

1899(明治32)年に銀座の洋食店『煉瓦亭』が『ポークカツレツ』をメニュー化したことを契機に、豚肉食文化圏の関東ではカツレツの材料が牛肉から豚肉に移行し始めました。また、調理方法も炒め焼き(sauté)から天麩羅のように大量の油で揚げる方法(deep fry)に変化して行きます。一方、牛肉食文化圏の関西では、牛肉のカツレツが引き続き主流の座を占め、現在に至っていますが、調理方法は関東と同様にdeep fryが主流になっています。

 

なぜ関東では豚肉食文化、関西では牛肉食文化になったかは諸説ありますが、私が共感しているのは農耕用に使われた動物の違い説です。関東で農耕用に使われていたのが馬であるのに対し、関西では牛が主流でした。使役を終えた牛馬は、食用に供されたため、関西では牛肉食文化が根付きましたが、関東では馬肉食文化は主流にはならず、豚肉食文化が普及しました。

 

画像はネットからお借りしました

 

なぜ馬肉食文化が関東で普及しなかったかと言うと、1頭の馬から取れる食用部分の比率が低く、供給効率が悪いためと言われています。明治時代に入り肉食が始まると、当初は関東でも牛肉が主流でした。このため牛の数が少ない関東では、神戸など関西から牛肉を移送していました。ところが日清、日露戦争で軍需食糧として牛肉の缶詰が戦地に送られるようになると、国内での牛肉の需給バランスが崩れ、関東への牛肉供給が滞り始めます。これを契機に関東では、食肉を域内で生産することが必要となり、牛よりも狭いスペースで食肉化でき、かつ牛と違って何でも食べる豚が重宝され、養豚が盛んになります。

 

このような背景のもとに関東と関西での食肉文化の違いが誕生し、カツレツも関東では豚カツ、関西ではビフカツが主流になりました。

 

本日は、ビーフカツの歴史についてでしたが、今度はビーフカツの分類、種類についてお話しします・・・4月17日(日)を予定。

 

次回は、本日15:00にオンストリート編。過去の旅などで脳裡に焼き付いている街角の光景をご紹介します。テーマは、東京都台東区浅草です。