スピンオフ編~台湾&中国・4人の政治家軍人が絡む『通りの名前』 | Love Beef Cutlet? Eternal Traveler~生涯旅人

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全国各地のビーフカツを紹介している超変人の超マニアックなブログです。最近は国内、韓国、中国などのB級グルメについても書いています。

ビーフカツを求め全国各地を彷徨う超変人の超マニアックなブログです。今回はスピンオフ編。ビーフカツやその他の食べ物からは離れ、これまでの国内外の旅などで印象に残っているスポットなどをご紹介します。今日は、台湾と中国の『通りの名前』をテーマにします。

 

 

台湾と中国は

政治体制が大きく異なりますが

漢字を使うという点では共通しています

・・・繁体字と簡体字の違いはありますが。

 

台湾と中国を旅して

気になったのは通りの名前です。

 

『中山』、『中正』、『林森』、『成功』

この4つの名前を冠した通りに

よく遭遇します。

 

中山路は

台湾でも中国でも

どの都市にも必ず存在します。

 

中正路と林森路は

台湾のどの都市にもありますが

中国にはありません。

 

成功路は

台湾に多くありますが

中国にはほとんどありません。

 

それぞれ人物の名前で

それが有無に関係しています。

 

本日は

その謎をご紹介します。

 

まず『中山』から。

 

台湾でも中国でも

『国父』とされている革命家孫文の号

『中山』に由来しています。

 

 

台湾の各都市に中山路があり

台北では地下鉄の駅にもなっています。

 

日本では孫文の名で知られていますが

台湾、中国では

孫中山という方が一般的です。

 

 

こちらは

上海の外灘の前を通る

『中山東一路』。

 

なぜ孫文が中山を名乗ったか

所説ありますが

有力な説は日本に由来しています。

 

日本亡命時代に

日比谷公園近くに住んでいた時期があり

その界隈にあった

中山さんの邸宅の表札の字が気に入り

号にしたという説です。

 

 

孫文は『逸仙』という号を

名乗ることもあり

アメリカではこの号の英文表記

Sun Yat-senで呼ばれることもあります。

 

こちらは

中国広東省広州市の

『孫逸仙記念病院』です。

 

余談ですが

台湾の中国国民党は党則で

孫文は『党総理』であると明記してあるそうです。

 

 

次は中正

この名前が付いた通りや建物は

中国では絶対に存在しません。

 

中正は

蒋介石の字だからです。

 

彼は

孫文の後継者として北伐を敢行し

中華民国の統一を果たしました。

 

しかし国共内戦で

毛沢東の率いる中国共産党に敗れ

1949年に台湾に移りました。

 

1975年に死去するまで

台湾において

中華民国の国家元首の地位にありました。

 

 

台北中心部には

蒋介石の顕彰施設である

『中正記念堂』があり

その敷地面積は25万㎡にも及びます。

 

蒋介石は

戦後中国から来た外省人には

支持されていましたが

もともと台湾に住んでいた内省人に

人気があったかは疑問です。

 

政権が

国民党から民進党に変わった時期

2007年には

中正記念堂の名称が

『台湾民主記念館』に改名されたことでも

そのことがわかるような気がします。

 

その後

国民党が政権復帰した

2009年には

『中正記念堂』に戻ったという

紆余曲折の歴史があります。

 

 

こちらは

台湾南部の都市

高雄の中心部にある

中山路と中正路の交差点です。

 

 

ちょっと長くなりましたが

三番目は林森。

 

日本ではほとんど無名ですが

清末の革命家であり

中国国民党でも活躍した人物。

 

1931年から死去した1943年まで

中国国民党の主席の地位にありましたが

実権は蒋介石が握り

林森が政治的な指導力を

発揮する機会はほとんどありませんでした。

 

 

林森は

台湾で活動したことはありませんが

なぜか台湾での評価は高く

彼の名を冠した通りや公園が

多数あります。

 

台北の総統府近くにある

『介寿公園』には

立派な銅像も建立されています。

 

 

こちらは

台北市中心部にある

『林森公園』。

 

日本占領時代には

日本人墓地があった場所で

その名残の鳥居が

2柱残っています。

 

また

公園の脇には『林森路』が通り

1980年代には日本人向けの

クラブや飲食店が林立していました。

 

 

最後になりますが

四番目の成功。

 

明朝時代の政治家であり軍人

鄭成功のことです。

 

中国人の父と日本人の母の間に

現在の長崎県平戸市で誕生した

中日混血児です。

 

 

7歳の時に

父の故郷である福建に移り

滅亡した明朝の復興のため

戦い続けました。

 

明の隆武帝は

成功の功績を称え

国姓の『朱』を賜りました。

 

成功は畏れ多いとして

朱姓を名乗ることはありませんでしたが

国姓を賜った大身という意味で

『国姓爺』と呼ばれるようになり

歌舞伎の演目にもなっています。

 

1658年

北伐軍を興し清に挑みますが

南京で大敗し台湾に渡ります。

 

当時の台湾は

オランダ東インド会社が統治していましたが

鄭成功はオランダ人を一掃し

政権を樹立しました。

 

 

台湾と関連した時期は

長くありませんが

台湾独自の政権を打ち立て

台湾開発を促進する基礎を築いたことから

台湾人から絶大な人気を得ています。

 

台南では

『成功啤酒』というビールまであります。

 

 

そして

ビールのお供には

『成功芋片』という名の

ポテチまであります。

 

 

中国での鄭成功の評価は

さほど高くなく

福建省以外ではほとんど無名です。

 

成功の名を冠した

通りや建物は

私が知る限りでは

厦門(アモイ)市の『成功大道』だけです。

 

 

マニアックなことを長々と綴り

申し訳ございませんでした。

 

そして

最後までお付き合い頂きましたことに

厚くお礼申し上げます。

 

次回は、本日15:00にオンストリート編。過去の旅などで脳裡に焼き付いている街角の光景をご紹介します。テーマは、中国上海市です