スピンオフ編~中国吉林省長春市・負の遺産を有効活用『満州国時代の建築物今昔』 | Love Beef Cutlet? Eternal Traveler~生涯旅人

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ビーフカツを求め全国各地を彷徨う超変人の超マニアックなブログです。今回はスピンオフ編。ビーフカツやその他の食べ物からは離れ、これまでの国内外の旅などで印象に残っているスポットなどをご紹介します。今日は、中国吉林省長春市の『旧満州国時代の建築物今昔』をテーマにします。最近、満州をテーマにした記事が多いなとご指摘を受けそうですが、暫しお付き合いください。

 

 

長春市は

吉林省の省政府所在地

都市人口350万人の大都市です。

 

第二次世界大戦以前は

新京と呼ばれ

五族協和、王道楽土の理念の下に建国された

日本帝国の傀儡政権である

満州国の首都でした。

 

清朝のラストエンペラー溥儀を

皇帝に迎えましたが

実権は日本帝国

とりわけ陸軍が牛耳っていました。

 

以前にも旧満州国の建築物をご紹介しましたが

今回は『偽満皇宮博物院』に展示されている当時の画像と

私が撮影した写真を比較しながらご紹介します。

 

なお、建物名は旧満州国時代のものを使っています。

 

『国務院』

(1936年竣工)

 

国政の最高機関であり

溥儀の直属の組織でしたが

実際には日本帝国陸軍の『関東軍』が送り込んだ

日本人が要職を抑えていたため

溥儀には実権がありませんでした。

 

安倍晋三の母方の祖父で

元首相の岸信介も勤務していました。

 

 

外見はほぼそのまま残され

『吉林医科大学』として使用されています。

 

こうやって見ると

中央の部分は何となく

国会議事堂に似ています。

 

 

『軍事部』

(1938年竣工)

 

防衛省に相当する役所で

軍事全般を司っていました。

 

洋風建築に和風の屋根を備えた

典型的な『帝冠様式』になっています。

 

 

現在は

吉林大学白求恩第一医院として

使われています。

 

 

『関東軍司令部』

(1934年竣工)

 

関東軍は

日本帝国陸軍の一部に過ぎませんでしたが

満州事変などの佐官級参謀の暴走に対し

陸軍省や陸軍参謀本部が

コントロールできない状態となり

実質的に満州国の国軍と化し

皇帝をも操る軍事国家を作り上げました。

 

 

現在は

中国共産党吉林省委員会となっています。

 

中国人民にとって悪の権化であった

関東軍司令部を

共産党委員会が使用しているのが

不思議でなりません。

 

ひょとしたら

共産党も関東軍と

同じ穴のムジナ?

 

 

『経済部』

(1939年竣工)

 

経済産業省に相当する役所で

満州国における経済活動を主導していました。

 

 

現在は

吉林大学附属第三医院。

 

『中日聯誼医院』のサブタイトルの通り

日本の無償援助により

先進設備等が導入されました。

 

 

『司法部』

(1936年竣工)

 

法務省に相当する役所で

法律全般を司っていました

・・・関東軍の独裁下でどこまで

遵法を貫けたかは疑問ですが。

 

 

現在は

吉林大学白求恩医学部

臨床医学を中心とする

研究が進められています。

 

 

『外交部』

(1934年竣工)

 

外務省に相当する役所ですが

満州国を国家として認めている国が

少なかったことから

どれくらいの役割を果たしていたのか不明です。

 

 

現在は

銘医集団という

医療関係の企業が使用しています。

 

ファサードの上部にのみ

かつての名残が見られますが

随分と高さが低くなってしまいました。

 

 

交通部

(1937年竣工)

 

国土交通省に相当する役所で

南満州鉄道(通称、満鉄)などを

主導していました。

 

 

現在は

吉林大学公共衛生学院が

使用しています。

 

 

『民生部』

(1937年竣工)

 

総務省に相当する役所で

地方行政、警察、衛生などに関することを

所掌していました。

 

 

現在は

吉林省石油化工設計研究院という

省政府系の研究所になっています。

 

 

『綜合法衙』

(1936年竣工)

 

最高裁判所や検察庁に相当する

役所が入った合同庁舎でした。 

 

 

現在は

中国人民解放軍四六一病院になっています。

 

 

『満州中央銀行』

(1938年竣工)

 

日本銀行に相当し

紙幣や貨幣の発行などを行っていました。

 

 

現在は

中国の中央銀行である

中国人民銀行の支店になっています。

 

 

『満州映画協会』

(1939年竣工)

 

日本の国策映画会社で

『満映』の通称で知られていました。

 

関東大震災直後に

アナーキストの大杉栄と

内縁の妻で作家の伊藤野枝

大杉の甥の橘宗一を殺害した

甘粕正彦・元憲兵大尉が日本の敗戦まで

二代目理事長を務めました。

 

ちなみに

映画『ラストエンペラー』では

坂本龍一氏が甘粕を演じていました。

 

 

中華人民共和国建国後は

長春映画撮影所として使われていましたが

現在は『長影旧址博物館』として

一般に開放されています。

 

 

老朽化などの理由から

取り壊されたものもありますが

今だに多くの建物が

重点文物保護単位(有形文化財に相当)に指定され

当時のまま残されているばかりでなく

敵国であった日本が建築した

いわば『負の遺産』を有効利用する

中国のしたたかな姿勢には

脱帽せざるを得ません。

 

次回は、本日15:00にオンストリート編。過去の旅などで脳裡に焼き付いている街角の光景をご紹介します。テーマは、韓国キョンジュ(慶州)市です。