今でこそ、ワーホリの規定変更やら、コロナで、留学生さんがいなく、どこも人材が足りないから今ならどこでも仕事すぐ見つかるんじゃないの?と思ってしまうくらい、どこにでも募集の紙がある(2022年現在はブリスベンにいます)


2005年当時、ワーホリはマックス半年しか同じ職場で働けない、セカンドなんとなかったし。

とりあえず手っ取り早くは日本食レストランで、時給6ドル(当時のオーストラリア時給最低額は17ドルくらい。)

もちろんタックスなし。

仕事もらった時に一応レストランのオーナーさんにタックス払うための書類だけ書かされたけどね。これは万が一にもATO(Australian Taxation Office) が抜き打ちで調べにきても、雇ったばかりで、申請するとこだった、とごまかすため。


そこでワーホリの間働いて、学生に変わったら、

Coles group の採用試験を受けた。

当時MyerとかColes は同じ傘下だったんだよ。

グループ面接という意味わからないことをやらされ、受かったのか未だにわからない。

けど、当時の彼のコネでColes のチェックアウトの仕事ゲット。今と違ってセルフチェックアウトもなかったしねぇ。

時給21ドルでスタート。

シフトは取り合い。


なんでもう一つは、キャッシュハンドで地元の八百屋さん。でも時給16ドルとか、そんなもんだった。これも紹介だったのよ。

何個か履歴書持って地元(ローカル)カフェやら行ったが、もらえなかったな。

なんでだったのかはわかりませんが。

なんでコネは助かりました。


みんな大体コネだったね。

夜のビルやらパブの清掃、高いビルの窓掃除(これは資格いるが、あまりやりたがる人いない、危ないで時給マジ高い)。みんなさまざまな仕事してましたね。

あとは、ショップの人とかと仲良くなって紹介してもらったりね。

助け、助けられが沢山あったなぁ、と今も思います。