*こちらで書いているお話はフィクションです。
登場人物は実在の人物の名をお借りしていますが、
ストーリーは作者の創作によるものです。

 

 

 

 

 

 

9.



「あの。僕を呼び出したのは…
依頼についての打ち合わせのためですよね?
だったら…早く始めませんか?」


まるで拗ねた子供みたいに…
僕は早口でチョン代表に催促した。
此処に来るまで、依頼を受ける気持ちは100%だった。
なのに、僕の中で不安が大きくなった。
こうやって、ずっとチョン代表にリードされながら進むのかと思うと…
胸の中に憂鬱な気分が広がった。
勝ち負けじゃないけど、なんだか…


「あれ?なんか不機嫌だね?
俺、何か気に障ることでも言った?」


長い脚を組み替え、ドン代表は白い歯を見せた。
こういうの…大人の余裕っていうんだろうな。
自分でもわかってる。素直じゃない態度をとってるってこと。
事務所で会った時は、とても興味深い人だと思ったけど…
社長からあんな話を聞いたせいか、
いまの僕は警戒心がマックスになっている。


「いえ…でも、僕のことを決めつけないでください。
僕はチョン代表が仰るような、誠実でも真面目でもありませんから。
クライアントにこんなことを言うのはなんですけど…
嘘を吐くことや誰かを騙すことだって上手くないと、
この仕事はやっていけないので」


チャンミン、何をムキになってるんだ?!
クライアントにこんなこと…
本音をぶちまけてどうする?!
かなり失礼でバカなことを言っている自覚はあった。


「俺はね…こう見えても人を見る目だけはあるつもりだ。
君は、仕事に対して真面目だしプロ意識も高い。
俺が伝えたレストランを下調べしたね?
このレストランの概要、客層を事前に把握して準備してきた。
まだ二十歳そこそこの若い君が、店に合うドレスコードを守っている。
たとえ打ち合わせとはいえ、きちんと身なりを整えてきた。
それは、俺に恥をかかせないため…
そして、自分のプロ意識をアピールするため。そうだろう?」


「え…?」


そんなことを言われたのは初めてだった。
この仕事を始めた頃は、色々と社長から教わった。
けれど、仕事を積み重ねていくうちに身に着いたことや、
自分なりにリサーチしたりという過程があって…
チョン代表はゆったりと椅子の背に凭れ、
ひじ掛けに肘をつき、長い指でその紅い唇をなぞった。


「俺は感動しているんだよ。
ヒチョルのところに、こんな優秀で…
しかも若くてハンサムな子がいるなんてね。
それに…君はそういうけれど、
誠実とか真面目っていうのは君の武器だよ。
まあ、時には息苦しいレッテルにもなるかもしれないが…
そういう子に仕事を任せられるなんて、
俺はラッキーだと思っている」


ふたたび白い歯をのぞかせて微笑む…
やられた!
完全に僕の心は…融けてしまった。


「そ、そんな…特に意識したわけじゃ…」


そう返すのが精いっぱいだった。
そして…僕の心拍数が一気に跳ね上がった。


「お待たせしました」


ウェイターがテーブルに食前酒を運んできた。


「あれ…?」


「はは。君に言われてハッとしたんだ。
大事な〝商談〟の席にアルコールは相応しくない。
本当はカンパリでもどうかと思っていたけど…
ペリエで悪いね。さあ…」


チョン代表は僕のグラスにペリエを注いでくれた。
悪いだなんて…
僕の主張をちゃんと聞き届けてくれるなんて、
そんなクライアントは初めてだよ。


「すみません…ありがとうございます」


「素晴らしいチャンミンとの出会いに乾杯」


「…どうも…」


褒められることなんて、もう何年もなかったから…
キザなチョン代表の言葉もスルーできるほど舞い上がっていた。
自分でもわかるぐらい顔が火照って、
僕は冷えたペリエを一気に飲み干した。


「じゃあ…何から始めようか?自己紹介?」


「本来は…個人情報は社長が把握しているものなので。
僕は社長から渡されたデータを見て仕事に入るんです。
ですが、今回は…僕が一任されたので。
僕が色々とお聞きすることになります」


「うん、いいよ。なんでも聞いて」


人懐こい笑顔を向けるチョン代表…
さっきまで僕を侵食していた警戒心が解けていく。


「たいていのクライアントはネットで仕事を依頼されるので…
こうして対面での聞き取りは珍しいんです。
あ、たまに事務所に来られる方もいらっしゃいますが。
では、此方の用紙にプロフィールをお願いできますか?」


「OK」


社長から預かってきた用紙を差し出すと、
チョン代表は胸ポケットから万年筆を取り出し、
スラスラとペン先を走らせた。
僕が言うのもなんだけど…
この若さで万年筆を持っているのも、なかなかのスペックだと思う。
それだけで、チョン代表の育ちの良さというか、
そういうものが滲み出ている気がした。
静かな個室に、チョン代表が走らせるペンの音だけが響く。
汗をかいたペリエのグラスのように…
僕のジャケットの背中も、
妙な緊張感でじっとりと濡れていた。