*こちらで書いているお話はフィクションです。
登場人物は実在の人物の名をお借りしていますが、
ストーリーは作者の創作によるものです。

 

 

 

 

 

 

 

《絶望の向こう側》



「ユンホ…本当に…本当に思い出したのか?
私はいま、人間の…若い女官なのだぞ?
髪も瞳も…体つきも何もかも違う。
それでも私を思い出してくれたというのか?!」


「チャンミン…すまない。
私は…父の事が気がかりで、どうしてもひと目会いたかった。
父の様子を見たらすぐに湖に帰るつもりだったのに…」


「知っている!
父王様がユンホに『福寿の桃』を食べさせ、呪をかけた。
私とそなたを引き離すため…
龍族と人間が結ばれることは悲劇だと考え、
そなたを人間界に返されたのだ。
私と一緒に過ごした湖での記憶をすべて消し去って…
ユンホが龍族と湖底の世界で暮らしていたことは、
人間界の誰も知らぬこと。
何も覚えていないそなたは、何事もなかったように医官として過ごし…
シュリ王女と婚約したんだ」


悲しげに微笑むチャンミンの髪が風になびく。
パラムが風となり、チャンミンを慰めた。


「ユンホを恨んでなどいない。
ユンホの記憶を消した父王様のことも…
人間を、異界の者を愛してしまった私を憐れみ、
私の為だと信じて為さったことだと、今は思える。
こうして…ユンホが思い出してくれたのだから」


「チャンミン!すまない…
私の後を追って、君は人間界にたった一人でやってきたのだね?
君を愛していたことさえ思い出せなかった私を探し出し…
どんなにもどかしく、腹立たしい思いで見ていたのか。
本当に…許してくれ。チャンミン!」


「つらいこともあったけれど…
私はユンホが愛してくれるなら、
人間の娘の姿のままでも、記憶を取り戻せなくてもいいと思った。
あんなに我儘で自分勝手だった私が…
愛するユンホのためなら、
自分はどうなってもいいとまで思えるようになった。
私の身など、どうなってもいいと…」


「チャンミン…」


ユンホは堪えきれず、チャンミンを抱き寄せた。
ここは宮殿の中だ。
もし、こんな姿を誰かに見られたら…
王女の婚約者であるユンホはどうなるか。


「ユンホ、いけない!こんなところで…
私は宮殿の女官で、そなたは医官で王女の婚約者だ!」


腕を振りほどこうとするチャンミン…
それに反してユンホの腕の力はますます強くなった。


「ユンホ?!」


「いいんだ。
ずっと胸の奥で燻っていた気持ちの正体がわかった。
封印されていたチャンミンへの思いが解き放たれ、
もう私には怖いものなど何もない」


背中に波打つチャンミンの長い髪を撫でながら、
ユンホは凛とした表情でチャンミンを見た。


「逃げよう」


「逃げる?!どこへ?」


「どこへだって構わない。
チャンミンと一緒なら。
ハヤン先輩は、
『チャンミンとの愛を貫け』と仰った。
チャンミンと生きることが…
いや、ともに死ねるなら本望だ。
それが私の宿命だと思うから。
ならば、とことんチャンミンを愛し抜きたい。
此処に居ても、私たちの愛は成就しないよ?」


いま、自分に魔力があったなら…
この宮殿でもない、真朱の湖でもない。
どこか異次元の世界に二人で飛んで行けるのに。
誰にも邪魔されない…二人だけの世界へ…


「いいんだよ。チャンミン。
私たちには魔力など必要ない。
ただの恋人として…愛し合う者として生きていきたい」


「えっ…どうして?
私の心が読めるのか?」


「あ、いや…どうしてだかわからないけれど…
チャンミンの心の呟きが伝わってきたような気がして」


「ユンホ…うれしい…」


こうして…
ユンホとチャンミンは、真実の愛を貫くため…
二人で都から離れることを決めた。
チャンミンは、ユンホの父の事が気がかりだった。
快復したとはいえ、病がちでユンホの唯一の肉親──
そんな父を置いて都を落ちてもいいのだろうか?
ユンホが都を捨てるということは、
シュリ王女との婚姻を破棄する意味を持っている。
王家に背くことは大罪となる。
ユンホの父に害が及ぶことは想像に難くない。



「ユンホ、父上だけには告げて行こう。
もし、許されるのなら父上も一緒に都を出よう。
そなたのたった一人の家族ではないか」


その夜の真夜中、ひそかに宮殿を出たユンホとチャンミンは、
山を越えて港の街へと向かっていた。
こっそりとついてくるチソンアと、
夜風となって静かに見守るパラムの気配を感じながら…


「チャンミン…」


「私にも父がいる。たった一人の…
こうして人間に転生してから、私は多くのことを学んだ。
けっして一人では生きていけないのだということも。
無駄な命などひとつもない。皆、使命を持って生まれたんだ。
そして、それは…クンが教えてくれた。
そうだろう?ユンホ」


「ありがとう。私のことも、父上のことも…」


チャンミンの手を取り、
ユンホは暗い森の中を父の待つ生家へと急いだ。